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俺は家の中がこれほど奇妙になったのを初めて見た。
目の前には肩にタオルをかけて姉の洋服を着ている松方さん。
二人は正座して、声も発さず向かい合っている。
「あの……」
先に沈黙を破ったのは松方さんだった。
「シャワーお借りしてしまってすみません」
正座の彼女は俯いている。そのまま石のように固まってしまいそうで、俺は慌てて返事をした。
「いえいえ、風邪ひいたら大変だし。俺の方こそ半ば無理やり連れてきちゃってごめんね」
大丈夫です、と蚊の鳴くような声が聞こえ、再び痛いような沈黙。
俺は話を続けて良いのか迷ったが、結局は素直に訊きたいことを口にした。
「ねえ、やっぱり傘忘れたんだ。今朝訊いたときに言ってくれれば良かったのに」
彼女は黙っている。
それはそうか。学校であれほど口を開かないのに、こんな話に答えてくれるわけがない。
しかし驚いたことに、彼女は小さく呟いた。
「お母さんが……」
それは今まで聞いた中で、一番感情がこもっている彼女の声だった。
悲しさ、寂しさ、怒り——どれが本物かわからないけれど、全てが入り混じった声だった。
彼女の両目から糸のような涙が流れ、彼女の言葉はしばらく途切れた。
美しい。
泣き顔さえも、彼女は美しい。
なのに、どうしてこんなに冷ややかなのだろう。
溢れんばかりの感情が、彼女の中で渦を巻いているのに、その涙は冷たい。彼女自身の性格のように。
俺は冷え切った心を温めるように、彼女をぎこちなく抱きしめた。
わずかにしゃくり上げながら、彼女は話を始めた。
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