家事レッスン

1/1
前へ
/73ページ
次へ

家事レッスン

『すまん。朝食くらい作れると思ったんだが……』 「大丈夫。ご飯もあるし、今日はそれとフリカケでいけるから!」 『…… すまんな』  せっかく朝食作りに挑戦したものの、新聞読み(ふけ)っている間にトーストと目玉焼きとウィンナーを(ことごと)く黒焦げにした悪霊は、しょんぼりと謝った。  ……が、目下の問題は、それより。 「ところで元IT系やり手社長さん、あなたの家事経験は?」 『 な い 』 「…… 清々しいくらいキッパリと言い切りましたね」 『簡単そうだから、経験なくてもできると思ってたんだ』 「家事ナメてんじゃないっ」  銀治郎の頬に、果穂のパンチが炸裂した。  そんなわけで、引っ越しの翌日は1日、急な家事レッスンと相成った。  食事作りはゆっくり慣れていくしかないので、まずは下ごしらえからだ。レンジを駆使しながら、簡単に手を加えたら食べられる状態にして冷蔵庫に保存。  それから、食器の片付け、掃除、ゴミの分別、布団干し、洗濯、風呂掃除、シンク磨き……  やっと一息ついて、果穂が淹れてあげた紅茶を見つめ、銀治郎はポツリと言った。 『キリがないんだな、家事は』 「仕事してると、平日はなかなかできないからね。休日にガッツリやって、ギリギリ気持ちの良い生活を保っていたのですよ。庶民もなかなか、大変でしょ?」 『うん。だが…… 悪くない』  きれいに掃除した部屋に漂う紅茶の香り。洗濯ものが風にはためき、布団は日の光を吸ってふかふかになっている。  当たり前だと思っていた、それは、銀治郎が生きている間ずっと、誰かが手を掛けてしてくれていたことだった。  今度は自分の手で、それをする。 『充足感みたいなものがこう、ひしひしと…… ずっと、誰かにしてもらってきたことを、返せるというか……』 「そう? じゃあよろしく、社長さん!」  果穂の笑顔が、弾けた。  -- こうして、しばらくの時が経ち、銀治郎が日々の家事に慣れ、料理その他の腕前を、随分(ずいぶん)と上げた頃。  夏季休暇の時期が来た。
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!

54人が本棚に入れています
本棚に追加