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家事レッスン
『すまん。朝食くらい作れると思ったんだが……』
「大丈夫。ご飯もあるし、今日はそれとフリカケでいけるから!」
『…… すまんな』
せっかく朝食作りに挑戦したものの、新聞読み耽っている間にトーストと目玉焼きとウィンナーを悉く黒焦げにした悪霊は、しょんぼりと謝った。
……が、目下の問題は、それより。
「ところで元IT系やり手社長さん、あなたの家事経験は?」
『 な い 』
「…… 清々しいくらいキッパリと言い切りましたね」
『簡単そうだから、経験なくてもできると思ってたんだ』
「家事ナメてんじゃないっ」
銀治郎の頬に、果穂のパンチが炸裂した。
そんなわけで、引っ越しの翌日は1日、急な家事レッスンと相成った。
食事作りはゆっくり慣れていくしかないので、まずは下ごしらえからだ。レンジを駆使しながら、簡単に手を加えたら食べられる状態にして冷蔵庫に保存。
それから、食器の片付け、掃除、ゴミの分別、布団干し、洗濯、風呂掃除、シンク磨き……
やっと一息ついて、果穂が淹れてあげた紅茶を見つめ、銀治郎はポツリと言った。
『キリがないんだな、家事は』
「仕事してると、平日はなかなかできないからね。休日にガッツリやって、ギリギリ気持ちの良い生活を保っていたのですよ。庶民もなかなか、大変でしょ?」
『うん。だが…… 悪くない』
きれいに掃除した部屋に漂う紅茶の香り。洗濯ものが風にはためき、布団は日の光を吸ってふかふかになっている。
当たり前だと思っていた、それは、銀治郎が生きている間ずっと、誰かが手を掛けてしてくれていたことだった。
今度は自分の手で、それをする。
『充足感みたいなものがこう、ひしひしと…… ずっと、誰かにしてもらってきたことを、返せるというか……』
「そう? じゃあよろしく、社長さん!」
果穂の笑顔が、弾けた。
-- こうして、しばらくの時が経ち、銀治郎が日々の家事に慣れ、料理その他の腕前を、随分と上げた頃。
夏季休暇の時期が来た。
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