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分かっていたことだった。今になってこんなにも自分が無力だと泣きたくなる。巧は、一体何と言うだろうか。馬鹿だな、と励ますだろうか。それとも一緒に泣いてくれるだろうか。
そんなことを考えながら、徐々に白んでいく空の中、俺は巧の隣でぬくもりを感じながら微睡んでいった。
マスターの電話で俺は起きる。眠っていたのは覚えている。でも時間の感覚が無かった。
「歩君?どうしたの、今日は」
「えっ…」
困惑する俺に、マスターは続けた。
「巧君から電話貰ったよ。具合悪いんだって?今日は休んでいいよ」
「そんなこと、俺」
言ってません、と言おうとすると、マスターは続ける。
「何だか熱がありそうだって言ってたけど。大丈夫なの?ホントに?無理しないでいいから。今日は休みな」
布団の中で、何だか訳が分からずに俺は電話を掴んでいる。窓を見ると、空に赤みがかかっている。夕焼けだった。
「いや、大丈夫です、本当にー巧が何言ったか知らないけど、俺、行けます」
電話越しから、そう?と不安そうな声で返すマスターは、迷っているようだった。
「歩君が平気ならいいけど。まあ、ゆっくり考えていいから。じゃあね」
優しくマスターは俺との電話を切る。一体どういうことなのだろう。巧は俺が休むようにマスターに言った、ということなのだろうか。でもこれは俺の仕事だ。
起き上がろうとすると、眩暈で起きられない。こんなことは初めてだった。途端に襲って来る吐き気。俺は眩暈を我慢して洗面所に向かった。部屋が酷く冷えているのが分かる。ぶるぶると震えながら、洗面所に付いた途端、
「おえっ…げほっ…」
突然に嘔吐し、俺は困惑した。胃液が洗面台を伝って排水溝に流れていく。
風邪、ではない。これはー
蛇口から出ていく水を見つめて、俺は後悔していた。
どうしよう。
「巧…」
呟いても、巧はいない。俺はコートを着、マフラーを巻くとよろよろしながら玄関に行く。
このままではいられない。
走ろうとして、思わず思いとどまった。
「クソっ…」
自分に腹が立って、胸がむかむかしてくる。涙が滲む。どうしてこのタイミングなのだろう。巧に迷惑をかけるのは分かっていたのに。
それでも俺はあいつを受け止めたかったのだ。
玄関を出て鍵を閉めると俺は、雪解けして乾いた町中のアスファルトを急ぎ足で歩き出した。
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