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「嘘…だろ、歩」
「…」
何も言えない俺。バーにある古時計が十時を告げる。その音は深く、低い音でそこにいる全員の心を鎮めていくようだった。マスターは言う。
「さあ、今日は店じまいにするよ。積もる話もあるし、お互い。ね、歩君?」
はい、と俺は言った。挨拶をする間もなく、巧が俺の手を引いて、裏口のバイクの場所まで連れて行った。
それからバイクに俺を跨らせると小さく、大丈夫?と声を掛けてくれた。うん、と返事をすると、メットを俺に被せてくれる。自分はメットをせずにバイクに跨る巧を眺める。
無言で巧の広い背中に捕まると、バイクはゆっくりと走り出した。一体、巧は何と思っているのだろう。不安で胸が潰れそうだ。そんな心とは裏腹に、外の景色は徐々に藍色と星で彩られていった。
信号を曲がる度に靡く茶色の髪が、星空に映えて奇麗だ、と思う。
ガードレールの緩やかなカーブが、連続して俺達のサイドを流れていく。徐々に寒くなっていく夜の中、俺はコートに包まれ震えていた。
バイクのスピードが徐々に緩やかになっていく。
そこは、ちょっとした丘になっていた。公園があり、ベンチやブランコが見える。木々に囲まれて、星空が集約されたように見えていた。
巧はバイクを停めて、俺のメットを取る。
「着いた。ここ。歩に見せたかったんだ」
俺はゆっくりとバイクから降りると、すぐに星空を見上げた。何と言っていいか分からないほどの星空。幾つもの星々が俺達を見下ろしている。
「奇麗だな…」
思わず呟くと、巧はうん、と言ってくれた。
お互いの吐く息が白い。気温は酷く下がってきているようだった。
「さっきの事なんだけど」
俺は巧に説明しようと、言葉を探す。
「俺、気付いてた訳じゃなくて…夕方、吐き気がして…それで」
「歩」
巧は俺の肩を掴む。そして真剣な表情で言った。
「本当なの」
見つめられて、俺は何と言っていいか分からず困惑する。何と言えばいいのだろう。ごめん、すまない、色々な言葉が頭の中を掠めては消えていく。じんじんと、寒さで両手が悴んでゆくのが分かる。
「…うん」
すると途端に抱きしめられて、俺は戸惑う。満点の星空の中、愛しい恋人に抱きしめられ俺は夜空を見上げていた。
「…俺の、俺達の…子供ができたの」
「…うん」
「歩と、俺の…?」
巧の表情は不安から喜びの色に変わっていく。
「…うん」
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