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「この子は自分で管理できる子です。何か問題でも」
その男はグラスのチェリーを指で摘まむと、口の中に放り込んだ。
「ふうん…それでは首輪を付けてあげてください」
「…」
マスターは黙っていた。
俺はとても嫌な予感がしてマスターをじっと見つめていた。俺の所為で、マスターに迷惑が掛からないだろうか。
「首輪をしていないΩは非常に危険です。世間を狂わす。αの私闘が繰り広げられてもおかしくない。それからー」
男はマスターを一瞥した。まるで、品定めのように。
「貴方は…βですか。Ωと一緒に居るべきでは無いですね。なにか間違いがあってβの子が生まれては困る」
「…」
「マスター…」
俺が弱弱しく言った言葉を、マスターは噛みしめているように見えた。なんて失礼な奴なのだろう。
頼みましたよ、とその男は言うと俺を一瞥し、マティーニを呑み干した。
ドアのベルの音がカラン、と響いた。マスターはそのまま話さず、カウンターに戻って いった。
カウンターのグラスの脇に、五千円札と「種族管理代行会社 大谷恭一」という名刺を見つけた。
俺はその名刺を力任せに破り捨てた。
夜の冷たい空気が、店の中を泳いでいるようだった。
深夜に家に着くと、吐く吐息も白さが増している。
毎日の事だったが、今日は何だか特に寒い気がする。
鍵を取り出す手がかじかむ。差し込んだ鍵を、回すのにはとても力がいるように感じた。
玄関に入って、俺は靴を脱ぐ。冷え切った室内。その寝室に、薄い布団を敷いて寝息を立てている巧の姿があった。
じっと顔を見る。色素の薄い髪の毛、茶色い睫毛。寝顔を見つめることが最近の日課だった。髪の毛を撫でて、くせっ毛の感触を楽しんだ。
巧、と呟く。
返事が無いので、その白い睫毛に、そっと口づけを落とした。
意味もなく涙が溢れる。今日言われたことが悔しい。言い返したくて、でもどうやって言えばいいのか分からなかった自分に嫌気が差す。
Ωとβは、一緒に居てはいけない存在なんて誰が決めたのだろう。何処へ行っても、所詮俺達は認められないのかもしれない。巧に否定して欲しいのに、隣にいるのに届かないもどかしさが、俺の胸を焦がす。この胸の重さ。吐き気がしそうだった。このまま、俺達は誰にも認められずに生きていかなきゃならないのだ。
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