港湾系大企業M社での調査結果

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港湾系大企業M社での調査結果

背景:いち経済学者は電子化、効率化の著しく遅れているとされる物流系大企業にパートタイマーとして入社、半年間の契約期限切れまで就労した。以下はそのときの典型的な記録である。 8:30 出社  開始時刻は9:00であるが、世界は休みなく24時間動いているとの理由で少しでも早く出社するのが物流人の心がけである由。 8:50 朝礼 内容は以下の通りである。 課長 総員、かつもおおおおおおおくっ!  従業員たちは研修で叩き込まれた通り、教練の基本動作である〈気をつけ〉の姿勢をとる(かかとを合わせて60度きっかりに開き、両手はズボンのラインに沿うように)。 課長 社訓唱和! 従業員 社訓唱和! 課長 声が小さい。いいか、こうやるのだ。(大きく息を吸い込み、額に浮いた血管も切れよとばかりに)社訓、唱和ああああっ! 従業員 (ほとんどヤケクソ気味に)社訓、唱和ああああっ! 課長 ①われわれは、迅速かつ正確な物流を心がけます! 従業員 ①われわれは(以下同文) 課長 ②われわれは、港湾労働者としての誇りと矜持を持ち、日々全力で仕事に取り組みます! 従業員 ②われわれは(以同文) 課長 ③われわれは(以下略。抽象的なありがたい唱和が⑮まで続く) 9:30 業務開始  ある社員が始末書(昨日彼女のミスで発生した損金――B/L訂正料\3,500――の顛末を3,000文字にわたって認めた労作)を提出。係長代理心得とのあいだで三度のリテークがやり取りされたのち、係長代理心得の押印がなされ、係長代理へ。  係長代理とのあいだに四度のリテークがやり取りされたのち、係長代理の押印がなされ、係長へ。  係長とのあいだに五度のリテークがやり取りされたのち、係長の押印がなされ、課長代理心得へ。以下課長代理→課長→部長代理心得→部長代理→部長の順で推移。その間のリテーク数は以下の数式で表現できる。すなわち、   直近のリテーク数n+1 11:00~13:00 昼食  もちろん休憩が3時間あるのではない。〈世界は休みなく24時間云々理論〉により、昼食時に社員がオフィスからいなくなるのを防ぐ目的で、休憩は分散してとる決まりとなっているだけだ。  なお形式上1時間の取得が認められているが、〈早食いできぬ者は人に非ず〉の格言が蔓延しているため、事実上20分が限度である。社員のなかには弁当をミキサーでペレット状に粉砕した流動食を持参する者も。 13:00 午後の業務開始  午後は乙仲から届くB/Lドラフトが飛び交う主戦場である。社員たちはメールやの処理に大わらわ。PDF業務はことに盛況で、ファックス装置の前には行列ができるほどだ。  年配のお偉方も負けてはいない。トラブルが出来すれば即電話をかけ、相手の都合もなんのその、その場でアドホックに解決していく。相手が席を外してる? 問答無用、折り返し電話をさせるのにも躊躇しない。メールだ? そんなもの、あてにならん! 最終的に効力を発揮するのはむかしながらの電話攻撃と相場が決まっとるんだ、わかったか若造め。  役職者たちともなればチェックの鬼である。部下から上がってきたをじっくりと眺め(むろん彼または彼女の手に渡るまでにはn+1回のリテークを経ている)、気になる数字は。ROUND関数だ? そんなもの、あてにならん! 最終的に効力を発揮するのはむかしながらの(以下略)。 18:00 終業  この時間帯の光景は圧巻である。法令遵守の精神のもと、当企業も残業削減に余念がない。その全責任を両肩に背負わされた課長は血眼になってその任に当たっている。  フロアの人員は清潔でモダンな貸しビルの10~12階に偏在している。彼らを一度に全員帰らせるのは(いくら課長が超人的な管理能力を保持しているとしても)至難の業だ。そこで彼は一計を案じた。  答えは簡単である。タイムカードをいったん切らせてしまえばよいのだ。しかしこれですら容易ではない。1フロアあたりオフィスには40人以上の人間がいる。彼ら全員が18:00近辺にタイムカードへ殺到するとなると、どうしても後ろのほうにいる抜け作どもが残業扱いになってしまう。  ここで課長の超人的な管理能力が発揮される。①社員に番号を振る、②17:30から10人単位でタイムカードを切らせる、③18:00までに①~②を完遂する。  こうして港湾系物流企業M社は超優良企業へとのし上がった(勤務時間でも自由に退社できる点が評価されて)。なお実態は深夜近くまで相変わらず社員たちが忙しく駆け回って出力されたPDF文書をファックス機へ放り込み、エクセルのチェックに電卓が酷使され、上長たちはn+1の公式にしたがってリテークを命じているのであった。 結論:主としてオンライン機能をメインに効率化を施せば、労働時間と社員数は半分以下ですむだろう。彼らは率先してする必要のない無駄な仕事を生み出しているように思われる。残業代が出るわけでもないのにである(タイムカードが強制的に切られている点を思い出してほしい)。  この点はたいへん興味深い。一見経済学的な見地から逸脱しているように思えるからだ。しかし長時間労働が評価の対象になっていると考えれば、なんら不思議な現象ではないだろう。彼らは婉曲的なインセンティヴのせいで文明の利器をあえて駆使せず、進んで残業をしているのである。
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