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『毎週木曜日 午後8時から
オンライン占い やってます』
昔から、おまじないだのゲン担ぎだのが好きだった私は、小学生のころから、何かアクシデントがあるたびに占いでその先の未来を占ってきた。
中学生にもなると今度は風水に傾倒して、やれ恋愛運には東南にピンクのぬいぐるみだ、勉強運には北に勉強机だのと、家族を巻き込んでは家の大規模配置換えに勤しんだ。
その甲斐あってか、当時から大学生になった今まで、人並みに友人や恋人にも恵まれ、さしたる挫折もせず順風満帆にこなしてきた。
自分の人生に点数をつけるならば、78点くらいだろうか。満点とまではいかないが、平均点は大きく上回る、そこそこ華のある、無難な人生である。
これから先もぜひ78点を謳歌して、適当な年齢まで生きて穏やかにそれなりの人生を終えたいものだと思っていた。
しかしその願望が、ここ最近脅かされているのである。
最初にその兆しが見えたのは、三年付き合っていた同じ年の恋人との別れであった。
大学卒業を目前に控えていた私たちには、同棲の話が持ち上がっていた。
同棲イコール結婚という図式が頭に浮かんでいた私は、十年先の将来設計までたてて、子どもは三人ほしいので、新居で使う食器やカトラリーを私たち夫婦と三人の子どものために、それぞれ五客ずつ用意した。
そして、いざ同棲スタートという頃に、恋人は去っていった。
「ごめん。マナミのことは好きだけど、一緒に暮らすって考えると荷が重くて……」
最後の晩餐ということだったのだろうか、恋人と事あるごとに通っているフレンチレストランで新居に置く家具の話を切り出そうと口を開くと、こう告げられたのだった。
頭が真っ白になるとはこのことだったのか、と妙に感心しながら黙々と料理を平らげた。ウサギのアグロドルチェはひときわ酸っぱかった。
失恋を境に、立ち行かなることが増えた。
就職活動では一向に内定をもらえず、財布は二度なくした。
駅の階段で足をつまずかせて、とっさにつかまった手前の男性をなぎ倒した。
卵を割ったら、間違えて中身をシンクに捨ててしまった。
赤信号につかまることが増えた。
DVDの返却を忘れていて膨大な延滞金を払うことになった。等々。
そんな不運を断ち切りたくて、何気なくインターネットの検索バーに
「占い 当たる」
と打ち込んでいた。
昔からこれで何事も解決していたことを思い出して、心が軽くなった。
検索結果の見出しをつらつらと眺めていると、スクロールした先に占いにまつわる雑談掲示板を見つけた。
私よりも深刻な悩みを抱えて、にっちもさっちもいかなくなった、というような人が多くいて、掲示板には切迫感がにじんでいた。
さまざまな相談の合間に、どこそこの占い師が当たるだとか、今日は新月だとか色んな話題が行き交っていて、なかなかの情報量の多さに目は画面を滑っていった。
画面をスクロールしていると、ある文章が目に留まった。
それが冒頭の文言である。
聞きなれないが、どうやら自宅にいながらも占い師と対面で話ができるらしかった。
昔、占いには何度か足を運んだことはあったが、あれもなかなかに勇気がいるものであった。
まず人気の占い師は予約を取るところから大変だったし、予約が取れたといっても、占い師と話せるのはせいぜい1時間だ。
それに、占いというものはなかなかに相場が高いので、消化不良のまま時間を迎えてしまい、帰り道はいつも気持ちを持て余していた。
掲示板に書かれていた占いは相場よりも格段に安い。
私は軽い気持ちで試してみることにした。
当たるも八卦当たらぬも八卦とは言いながら、占いで何かが変わるのであればお願いするほかにないだろう。
掲示板に書かれていたアドレスに連絡を入れて、オンラインで行われるという次の木曜日を待つことにした。
メールでオンライン占いの予約をしてから三日が過ぎて、約束の木曜日がやって来た。
どうやらビデオ通話のできる、専用サイトを用いて占うらしい。
予約の時間の五分前、占いのために開通された部屋に入室するため、あらかじめ送られてきたパスワードを入力する。
もちろん一対一で行われるため、占い師が入室しない限り通話は始まらない。
少しドギマギしながら占い師を待っていると、かちりという音とともに部屋に掛けてあるアナログ時計の針がぴったり八時をさした。
それから少し遅れて、真っ暗闇だったパソコンの画面に突然人の影が見えた。
人と言っても、顔はおろか、見えている部分は胸元くらいで、占い師が現れることを知らなければ判別できなかったであろうその姿に、声を出せずにいた。
どうやら濃色のマントをかぶっているらしい。
意外にもステレオタイプなその姿に男女の区別をつけかねていると、画面越しに占い師が話し始めた。
「マナミさん、でよろしいでしょうか。この度は私の占いをお選びいただきありがとうございます」
丁寧な口調だが、声音が分からないように加工されていて、少し聞きづらい。
オンラインならではの事象に妙に感心しながら、無難な言葉を選びあいさつを返した。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします。こんな形で占いをしてもらうなんて初めてで……」
言葉尻を濁すと、占い師はことさら穏やかな口調で話し始めた。
「ご安心ください。対面で占いを受けるのと何ら変わりはありません。目的はマナミさんの恋愛を応援することなのですから」
「ははあ」
「私の占いには、手相も生年月日もいりません。お客様との会話を通じて、お客様の『気』を掴むのみなのであります。さあ、さっそくお話しをしましょう。あなたのことを教えてください。……」
同棲を約束した恋人に振られたことを相談するつもりが、占い師の絶妙な相づちのおかげで、いらぬことも話してしまった。
はじめはしんみりとした雰囲気を醸していたが、話は右に逸れ左に逸れ、いつの間にか通学している電車での愚痴や、近所の洋食店で食べた珍しい食材の話など、友だちと話しているかのように話題は尽きなかった。
私が話している間占い師は、ふむ、だとかほうだとか調子を合わせながら、しきりにペンを走らせていた。
どうやら熱心に占いをしてくれていそうで、占い師に対する信頼の気持ちが徐々に膨らんでいった。
「すみません。なんだかいっぱい話しちゃって……」
「いえ、これもマナミさんの気の流れをつかむ前準備ですよ。やっぱりあなた、新しい恋愛に飛び込むべきです。私は感じました。運命が動きつつあるのを」
「ははあ」
突拍子のないことを言われて、間の抜けた返事をしてしまった。
「明日の朝、通学前に近所のコンビニへ寄ってみてください。青いシャツを着た男性とすれ違うことがあるかもしれません。あなたとその人は運命でつながっているように感じます」
なんだか大げさな物言いだったが、コンビニで出会うやもしれぬ青いシャツの男性に、思いを馳せた。
期待してしまったのだ、運命を。
占い師との会話を終えて、私は天井を仰ぎながら一つ息を吐いた。
次の日、言われた通りに近所のコンビニに足を運び、学校でお昼に食べるパンとアイスコーヒーを手にした。
商品を持ってレジ待ちの列に並びながら、そわそわと周りを見渡してみる。
それらしき人物は見当たらず、ひっそり肩を落としていると、サックスブルーのカッターシャツと黄土色のスラックスを身にまとった男性が店に入ってくるのが見えた。
すっきりした顔立ちの男性は、私よりも年上に見えたが、その肌はピンと張りがあって、さして年齢は変わらないように見えた。
二十代後半ぐらいだろうか。
全体的に涼しげな印象だが、くっきりとした目元が清廉さを醸し出していた。
その清らかな瞳と、不意に目が合ったのだ。
それは刹那の出来事であったが、とても長い時が流れたように感じた。
昨日の占い師の言葉が、思い出された。
あの男性が、私の運命の人というやつなのだろうか。
考えているうちにレジの順番がやってきて、店員の「いらっしゃいませー」の声に現実に引き戻された。
会計を終え、慌てて店内を探してみるが、もうお店を出てしまったらしい。
青シャツの男性の広い肩が不意に思い起こされた。
ぼんやりしたままお店を出て、再び占い師に相談してみようと心に誓った。
次の木曜日、再び予約を取った私はパソコンの前で鎮座していた。
八時になりオンライン上で占い師と私はつながった。
先日の出来事を話してみた。
名前も何も知らぬ人であるが、日に日に青シャツの男性の存在は胸の中で大きな風船のように膨らんでゆき、期待とときめきで空に飛んでゆきそうなのだ。
運命の人があの男性であるなら、もう一度会いたい。
私の話にふんふんと相づちを打ちながら、占い師は一つ咳ばらいをしてこう続けた。
「やはり私の読みが当たりました。間違いなく、あなたと目が合った彼が運命の人だったのでしょう。ところであなた、京王線をお使いなのですよね。××駅を降りると大きな書店があるでしょう。そこに、3日後の18時ごろ赴いてみなさい。文芸書のコーナーに彼の姿があったら間違いなく運命の人だとみていいでしょう」
私は力強くうなずき、予定を胸に刻んだ。
占い師に従って、3日後の18時前に大型書店に足を運んだ。
周りを見渡しながら奥にある文芸書のコーナーに立ち寄る。
人影はなかったので、ぼうっと陳列された本を見渡していると、後ろに人の気配を感じた。
見てみると、前にコンビニで見かけた青いシャツの男性で間違いなかった。
まさか本当に来るとは思わず、軽いめまいに襲われ、衝撃のために何も考えられなくなった。
「あの、もしかしてお知り合いでしたか」
僕こういうの声を掛けずにはいられなくて。怪しい者じゃないんですけど。
そう後に続けて、少し照れ臭そうに男性はこういった。
あまりの展開の早さに再びめまいがしたが、足で地面を押して、しっかりと男性を見据えた。
「多分、前にお見かけしたことがあると思います。素敵な人だったので、記憶に残っていて」
最後の言葉は照れて尻すぼみになってしまった。
こんなこと言いなれているはずもなく、また、作り物の展開のようで、もう一人の自分が私自身を俯瞰して身の細る思いであった。
きっと耳まで真っ赤になっていることだろう。
伺うように男性の顔を盗み見ると、パッと顔が華やいだ。
「ああ、分かりました。たしかに最近どこかですれ違いましたよね。きれいな人だな、ってこちらこそ思ってたんですよ」
人好きのする笑顔を向けられて、心臓の鼓動が激しくなるのが分かった。
なんとなく会話が切れないまま、あれよあれよという間に、後日会う約束を取り付けてしまった。
どんどんと転がってゆく展開におののきつつも、私は占いがもたらした運命に心を躍らせて飛び込んでいくことにした。
運命の人は、長崎さんといった。
長崎さんは見た目のすっきりさに違わず、中身まで清廉な人だった。
最初の読み通り、28歳の出版社に勤めるサラリーマンで、笑った時の目じりのしわが可愛らしい、性格の穏やかなゴールデンレトリーバーのような人である。
恋人に求める色々を、何もかも78点の基準値より大幅に超えてくるような始末で、私はもう、長崎さんにのめりこむほかなかった。
何度か食事を共にして、お互いを探っては、少しずつ仲を深めていった。
その合間にも、オンラインでの占いは続けていて、もはや長崎さんとの恋愛を進めるには占い師の存在が不可欠だった。
それというのも、デート中に抱いた小さな疑念なども占い師に相談すると、たちまち杞憂に終わるため、私はひたすらに占いを続けていた。
それぞれの違うところを見つけると、その度に本当に自分と彼は互いの考え方に寄り添えるのか、まずは占い師に相談してみた。
小さなほころびはやがて大きな傷を生み出すように、私と彼の些細なずれは破滅へと導いてしまう気がして、ちっぽけな不安要素はどんどん取り除いていった。
占い師は私の気の流れというものをよくよんでくれた。
決まって「大丈夫。彼は運命の人なのだから信じて」となだめられた。
そして、次に長崎さんと会う時には不思議と悩んでいたことが解決している。
例えば、連絡を取り合う頻度に差異があったのが、私が心地いいと思う頻度に落ち着いていたり、ミステリが好きなはずの彼が私の好みの恋愛映画を進んで誘ってくれたり、苦手だった彼の癖はいつの間にか見なくなったりもした。
やはり私と彼は、運命に導かれているのだと思った。
占いによってもたらされた恋愛は実を結び、やがて私と彼は結婚を前提に共に暮らすことになった。
新居には二人で買い揃えた家具が並ぶが、互いの荷物はまだそれぞれの自宅に残してあり、彼の友人に手伝ってもらい週末にも搬入する予定だ。
「こうやって一緒にいられるなんて不思議だね」
新品の家具のにおいを鼻いっぱいに吸い込みながら、長崎さんに話しかけた。
「うん。少し前は絶対に出会うことのない生活をしていたもんなあ」
「ね。お互い一目ぼれなんて素敵だよねえ」
二人で深く腰掛けたソファで、抱き合いながら微笑みあった。
「運命の人っているんだなって思ったよ」
そうつぶやくと、彼は目尻に皺を寄せてそっと私を抱き寄せた。
幸せの渦のようなものが身体中を駆け巡って、叫びだしたくなったが、彼の胸に勢いよく顔をうずめることでどうにか我慢できた。
ぐえっという彼のつぶれた声が頭の上で聞こえた。
「おーい。この辺の荷物も持ってくぞ」
長崎の友人が三人、自宅から手際よく荷物を運び出してゆく。
家主はがらんどうになった部屋の掃除や、細かな荷物を大きなボストンバッグに詰めていた。
大方荷物の搬出が終わり、友人のうち二人は荷物を載せたワゴン車で新居へと向かっていった。
長崎と友人の一人は、彼は生活をしていたこの部屋が、意外にも広いことに妙に感心しながら室内を最終点検している。
「おい、なんだこの布? 必要なの?」
不意に、友人が床に無造作に置かれていた濃色の布を指先でつまみ上げ、長崎の顔へ押し出しながら尋ねた。
問われた本人は目の前の布を受け取ると、玄関先に置いてあったボストンバッグの中にねじ込んでこう言った。
「運命なんてさ、信じるやつがバカだよなあ」
質問に対する答えが返ってこず、怪訝な表情を浮かべる友人を背に、長崎は愛おしい恋人の待つ家へ帰るため、バッグをわきに抱えゆっくりと玄関に向かっていった。
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