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深海500メートル
ちょうど彼が今いる赤道付近は穏やかに晴れわたっていた。澄んだ空気と大海原はただそこに居るだけで心を清めてくれた。彼は大きく息を吸うと勢い良く頭を下げて潜水を開始した。彼の大きくてゆったりしとしたその潜水フォームはとても優雅で美しかった。
彼はゆっくりではあるが着実にその巨体を深海に向けて進めてゆく。光は徐々に届かなくなってゆき、ニ百メートルに達するともうそこは闇の世界であった。
この水深まで来ると水温は低く安定していて慣れると比較的快適であった。彼は今まで何度もこの感覚を味わっていてその何とも言えない刺すよう感覚を楽しんでさえもいた。
彼はまだ潜水をやめない。彼の目的地はまだまだ先の海底でそこまではまだ半分ほど来たところだ。もうこの辺りでは生物もあまり居ないし暗くて周りは良く見えない。だが彼はそんな事を気にもせずにどんどん潜水してゆく。やがで彼は水深約五百メートルの目的の水深付近まで辿り着いた。そこには入り組んだ暗礁帯が広がっていた。
彼は早速暗礁帯で何かを探し始めた。ゆっくり泳いで岩と岩の隙間を確認していくのだが、水深五百メートルの暗闇の中では視覚で何かを見つける事はとても困難である。そこで彼は自らのメロン体と呼ばれる器官から発せられる音の反響を使うのだ。このエコーロケーションと呼ばれる能力によって彼はこの暗闇の中でも周囲の状況は手に取る様に分かっていた。
数分の探索で彼は暗礁に一際大きな岩を見つけた。三十メートルほど盛り上がったその大岩には大小様々な形の穴があって彼は大きくて広い穴を一つ一つ確認していった。そして大岩の中腹辺りににあった穴で目的の生物を見つけたのだった。その生物は彼が話しかけるより先に穴から出て来て彼に話しかけてきた。
「これはこれは。マッコウクジラさんじゃないですか」
「お邪魔してますよ。シーラカンスさん」
「この辺りにはあまりダイオウイカは現れませんよ。ダイオウイカを狙うならもっと北に行った方がいい」
「ええ、分かっています。今日はあなた方とお話をしに来たんです」
「わざわざ私と?」
「ええ。どうです?最近この水深は快適に過ごせてますか?」
「とても快適ですよ。この水深だと浅海の影響もほとんど無いし、外敵も殆どいませんから」
「それはいい事だ。浅海には凶暴なサメや海獣が多く居るからね。それに表層にはマイクロプラスチックと呼ばれるゴミが大量に浮遊しているし水質もここと比べるととても悪い。おまけに空気も汚れていて不味い」
「へー、そうなのか…」
「だから君達のようにこの素晴らしい環境に適応出来ているのであればここを決して動かずにずっとここで暮らしていた方が絶対に良いんだ。
だから君はこの事実を仲間に伝えてくれ。そしてこの事実を広く広めて君達は未来永劫この深海で平和に幸せに暮らしていくんだ」
「分かった、そうするよ。わざわざこんな所まで教えに来てくれてありがとう」
「ああ。君らがここで暮らしていくためにと思ってね。じゃあ」
そう言うとマッコウクジラは岩礁を離れて自らの暮らす水深である浅海に向かって浮上し始めた。マッコウクジラの潜水能力は非常に高く、一時間以上も潜る事が出来る。なのでまだまだ彼には余力があったが、彼は一目散に水面を目指した。本来マッコウクジラが深海に行く理由の殆どが狩りであるが、今回の彼の場合はシーラカンスとのコミュニケーションが目的で、その目的を無事に果たしたので彼は脇目も振らずに水面を目指したのだ。
彼はゆったりとしたダイナミックな泳ぎでどんどん浮上していった。水深が二百メートルよりも浅くなると徐々に海中には光が戻ってきて魚類達がが一気に姿を表してきた。
“ブシュッ!”
彼は海面に着くと大きく息を吐き出した。そして大きく深呼吸した。澄んだ海と空気は彼を清々しい気分にさせるのであった。
彼が水面をゆっくりと浮遊していると一匹のカモメが頭にとまった。
「やぁ、マッコウクジラ。また深海に嘘をつきに行ってたな?」
「失敬なカモメだな。予防と啓発だよ」
「ハハハッ!本当に君は心配性だな。シーラカンスのようなヒレの発達した魚類が進化して陸上生活を始めると本当に思っているとは…」
「無いとは言い切れないからなぁ。現に人間だって元々の祖先は魚だからな」
「だからってわざわざこんな事をしなくても…」
「人間が絶滅して百数十年が過ぎたが、今では空も海も綺麗だ。私が子供の頃とは比べ物にならないほどにだ。私はこの環境が少し長くでも続くように努力しているだけだよ」終
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