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 授業開始のメロディがキャンパス内に鳴り響く。  と言っても、これは学生への合図ではない。今頃、研究室の中ではリモート・ミーティング用のアプリが立ち上げられていることだろう。すでにミーティングを開始しているいくつかの講義では、ディスプレイの向こうにいる学生にも、メロディが聞こえているかもしれない。しかし、僕の担当している西洋哲学史特講は、時間厳守だ。メロディが終わると同時にミーティングを開始する。アプリのウィンドウに見慣れた顔がずらりと並ぶ。今日の講義用の資料をまとめたフォルダを開きながら、挨拶する。何人かがマイクをオンにして挨拶を返してくれる。 「おぎゃあああああああああ」  赤ん坊の絶叫、そしてマイクオフ。すかさずチャットに書き込み。 「すみません。おなかすいてるみたいで」  ユキウサギのサムネイルは沢田さんだ。 「全然大丈夫ですよ」 「泣いてる声、かわいい!」 「ノート、後で共有しますよ」 「うちもそろそろ起きちゃうかも……」  僕のコメントの後ろに、何人かのコメントが続く。  うちの大学が全授業リモートに切り替えてから七年が経つ。三年前には、いわゆる大学生の年齢層よりも、社会人や家庭人の割合の方が多くなった。  資料番号1のPDFを共有する。今週のテーマはハイデガーの『存在と時間』だ。概要を説明したのち、いくつかのテクストを朗読アプリに流し込んだ。僕の声が『存在と時間』の一節を読み始める。  大学の授業は、家事をしながら、仕事をしながら、受けられるものになった。画面を注視できない人もいるので、重要な資料は音声でも配信している。 「ぐあああああああああああ」 「うおおおおおおおおおおお」  仕事で問題でもあったのだろうか、曽倉さんを表すニューヨークの夜景と、手塚さんを表すアニメキャラをクリックしてミュートにする。 「戻りました! 母乳で黙らせてます!」  沢田さんのコメント。続けて「おかえり」が五つ連なる。 「それでは、日常生活における〈根源的時間性〉の瞬間について意見を出し合ってください。十分後に、それがハイデガーの提示した概念に適合しているか、検証しましょう」  ミーティングルームを立ち上げて、学生を自動で振り分ける。西洋哲学史特講とは銘打っているが、講義の部分よりも、話し合いの時間の方が長い。継続した学びには、講義よりも仲間の存在が重要だ。  *  *  * 「沢田さんの赤ちゃん、さすがだよね」 「〈根源的時間性〉の体現者って感じだよね」 「どうかな。この子がどこまで分かってるのか、私もまだ確信があるわけじゃないんだ」 「だって、生まれた時に『被投せられた』って言いながら出てきたんでしょ」 「で、次の一言が『明日からは投企』って。いつぐらいから胎教してたんでしたっけ?」 「妊娠する半年ぐらい前からかな」 「おぎゃああああああ未だあああ死へのおお不安をおおお疎外いいい出来いいいる程おおにはあああ反復うううをおお経験んーーしていないいいいのでえええええ」  やっぱり、沢田さんの赤ちゃんは、違う。  私はみんなのやり取りを聞くともなく聞きながら、はち切れそうな自分のお腹を撫でていた。そこには、このやり取りを聞いている私の赤ちゃんがいるはずだった。にもかかわらず、あまりにも静かだ。身じろぎすることも、私の手を押し返すこともない。実家で三十年間引きこもっている兄みたい。 「今、疎外って言った?」 「聞こえた聞こえた!」 「猪狩さんも聞こえた?」 「え……ええ。ほんとだね」  不意に名前を呼ばれて慌てた。沢田さんと同じルームになると、いつも彼女を中心に話が進んでいく。沢田さんは私のことを気にかけてくれていて、ことあるごとに話を振ってくれる。私がうまく話の輪に入れないでいるのを、この場を紹介した身として気にしてくれているらしいのだ。  沢田さんを知ったのは一年半前に参加していたプレ親学級の時だった。その時から沢田さんは目立つ人だった。いつもかわいいマタニティウェアを着て、周りは「それどこで買ったの?」とか「今度、一緒に買い物行こうよ」とか、そんな話をするプレママたちで賑わっていた。  私はいつも部屋の隅っこにいた。隣ではパートナーが入れ替わり立ち替わり現れるトレーナーやアドバイザーの言葉を、ちまちまメモしていた。  だから、沢田さんがどうして私に声を掛けてくれたのか、未だに分からない。ある時、取り巻きの中心から突然、私の姿を見定めると、一直線に目の前まで迫ってきた。 「ねえ。胎教、なにやってるの?」 「え? 私?」 「他には誰もいないと思うけど」 「ええと……バイオリンとテニス」 「勉強系は?」 「英語と理論物理学ぐらいかな」 「理論物理学、やっぱりいい?」 「どうかな。でも、産まれてきたら重力の影響を受けるわけだし」 「哲学はやってないの?」  目をキラキラさせながら、沢田さんは哲学の有用性を力説した。その話は聞いたことがあった。ノルウェーで発表された最新の研究によると、哲学の出生前教育は、勉強系だけじゃなく、芸術系、体育系、どんな分野においても適性を増大させるらしい。 「特にさ、井出先生の講義がすごいの。学生同士の議論が活発なのもあるんだけど、井出先生の声がいいんだよね。子宮に響くっていうか、臍帯血を流れていくっていうか、この子に伝わってるっていう感じがすごくするんだ」 「どうして私に?」 「だって、そういうの好きでしょ」  確かに、ファッションの話をされるより、こういう話の方が楽しい。赤ちゃんのことはともかく、私自身、哲学には興味があった。隣を見ると、パートナーのメモには井出先生の名前と、教えてもらった大学名がしっかりメモされている。 「今からでも間に合うかな」 「むしろ、今やろがい!」  沢田さんは、流行りの大学教授の決めゼリフを真似て、ケタケタ笑った。  その半年後、沢田さんは初産とは思えないほどの安産で三人家族になった。 「なんで、沢田さんより予定日が早いお前が、まだ産まれないんだよ」  パートナーは神経質な声でそう言ったが、私は正直チャンスだと思った。沢田さんよりも胎教で後れを取っていた私は、いつ産気づくか恐々としながらも、井出先生の講義にのめり込んでいった。幸いなことに、井出先生は人気が高く、大学が過去の講義をアーカイブして公開していた。井出先生の専門はドイツ観念論だが、用意された講義は哲学と名のつく領域の全てに及んでいた。地域も時代も異なる様々な哲学を耳にするうち、私の中には不思議な諦念のようなものが芽生えていた。 「また井出の授業か。いいかげんにしろよ」  パートナーからそんな声を何度聞いただろう。それでも、私の心の上には何の波風も立たない。食事の品数は減り、そのうち頻度も減っていった。口は思想を語るためのものであって、食事をするためのものとは思えなくなっていた。 「おぎゃああああああ我々わあわあ一体いつううう実存をうおおおお始めたのだろううううかああかああ」 「おむつ替えてくる!」  沢田さんが再び去って、大学生の年齢の大学生二人と、在宅のワーカーさんと私だけが残された。 「ユキウサギ、かわいいですよね」  誰が言ったか分からない言葉が、タブレットからこぼれ落ちた。  *  *  *  もうすぐ最初の誕生日か。  いや、未だ母の胎の中にいるオレは、誕生未満の状態だ。だとすれば、残念ながら誕生を寿(ことほ)いでくれる者は誰もいないと見なすべきだろう。 「我々は一体いつ、実存を始めたのだろうか」  子宮の外から叫び声が聞こえる。オレは既に実存していると言えるのだろうか。彼/彼女のその問いは、オレに産まれるということの意味を問いかける。井出教授の言葉もそうだ。存在に対する根源的な問いに捕らわれた人々は、外の世界では哲学者と呼ばれているらしいが、結局のところ、みな死んだ。産まれないことと、産まれた後に死ぬことは等価ではないようだが、産まれる以前の状態に留まることの意味を考えた哲学者はいないようだった。  オレに絶叫を届ける彼/彼女は、摂食と排泄こそが実存だと考えている。だからこそ、「いつ」という疑問が湧いてくるのだ。今のオレは、未だ母の胎内で母と命を同じくしているオレは、実存していると言えるのだろうか。  誕生未満の実存、それを実践的に考えることができた哲学者はいない。オレが、誕生未満の身でありながら、高度な思考能力を有するに至ったのは、ひとえに母の熱心な胎教の賜物だ。だとすれば、オレに課せられているのは、いたずらに外界へと飛び降りることではなく、今いる命のゆりかごの中でひたすらな思索の日々を送ることではないか。  やはり、まだ産まれるべき時ではないようだ。
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