失恋日和

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失恋日和

 次は私の番。  司会の人と打ち合わせた時の言葉を思い出して深呼吸を繰り返す。  膝の上で握りしめた手紙に小さなシワが寄る。  目の前のテーブルには出てきたままの姿で置かれている肉料理がある。冷めたら美味しくない。それはわかる。でも今のこの緊張感の中ではとても口にできない。  このスピーチが終わったら心置きなく食べよう。  そう自分に誓っていた、その時。  新郎の友人、正確には新郎新婦ふたりの幼馴染だという彼の言葉が耳に飛び込んできた。 「え」  一瞬にして私の頭は真っ白になる。  どうしよう。  どうしよう。  同じ言葉が頭の中を回るが今更どうしようもない。  お色直しを終えたばかりの親友の横顔が目に入る。  知らされてしまった事実を胸の奥にしまいこんで、私はそっと息を吸い込んだ。 「あの、金平(カネヒラ)さん!」  駅とは反対方向にピンヒールのつま先を向けた時だった。  名前を呼ばれて振り返ると、彼がいた。  今日初めて会ったけれど名前はするりと出てくる。 「金平(カネヒラ)さん」  お互いに同じ名字を呼び合って同時に笑ってしまった。 「よかったらちょっとお話しませんか」 「え」 「あ、いえ、ナンパじゃないです。あの、ちょっとさっきのスピーチのことで」  お酒の匂いを薄く纏った彼はそう言って少し寂しそうに笑った。  たぶん、この人も同じことを思ったのだろう。  私は小さく頷いた。  どこかに向かう、というよりはなんとなく歩いている。  そんな感じだった。 「びっくりですね。名前が似ているだけでなく、スピーチの内容まで同じなんて」 「ええ、本当に。もうどうしようかと思いました」 「金平さんすごいですね。僕だったらパニックですよ」 「いえ、私もパニックでしたよ。本当に知らなかったので。本当に、全然……」  全然、と付け足した自分の言葉がスッと紙の端となって細く鋭く私の心を傷つける。  苦い痛みとともに思い浮かぶのは、今日のために美しく化粧を施された親友の顔。  いつもと同じように私のことを「コンちゃん」と呼んだ親友。  白いバラのブーケとプチギフトを私に渡して笑っていた親友。 私はゆっくりと痛みを増していく胸に手をあて口を開いた。 「コンちゃん、って呼ばれていたんですね」  隣を歩く彼は視線だけを振り返らせて小さく笑った。 「ええ。小学生の時に引っ越してきて、二人につけられました」 「お金に平らに桃で『コンペイトウ』だから、コンちゃん」 「そうそう」 「私は自分だけがそう呼ばれていると思ってました」 「僕もです。今日あなたのスピーチを聞いて本当にびっくりしました」  お(カネ)(タイ)らに(モモ)(カオ)りで金平桃香(カネヒラモモカ)。  お(カネ)(タイ)らに(モモ)(ナリ)金平桃也(カネヒラトウヤ)。  私たちの名前はとてもよく似ていた。  私の名前を初めて知った時、サキちゃんはすごく嬉しそうに笑って言った。  コンちゃん、って呼ぶね、と。  私のことをそう呼ぶのはサキちゃんだけだった。  ――だから、特別だった。 「コレ一緒に食べませんか?」  彼はコートのポケットからゲスト全員に手渡された小さな包みを取り出した。 「いいですね。正直、ずっと緊張していたので料理の味なんて覚えていなくて」 「ですよね。スピーチが終わったら大丈夫かと思ったのですが、だいぶ引きずってしまって」 「私もです」  私たちはちょうど通りかかった小さな公園へと入る。  自動販売機でホットの缶コーヒーを買い、近くのベンチに並んで座った。 「桃の金平糖なんてあるんですね」  ピンク色の紐をほどいた彼が言い、 「珍しいですよね」  私も同じように膝にのせた包みを開けた。  中から薄桃色の星を詰め込んだ袋が出てくる。  一瞬目を合わせてから二人同時に封を切る。  冷たい風に合わせて桃の甘い香りがふわりと浮かんだ。  今日のために磨いた爪の先で金平糖をつまむ。  ――鼻の先が痛いのは、きっとこの寒さのせいだ。  今日のために買い換えた口紅の上に金平糖を置く。  ――胸が苦しいのは、きっとフルコースを食べたせいだ。  今日のために言葉を飲み込み続けた口の中に金平糖を落とす。  ――視界がぼやけていくのは、きっと……。  ポタッ。  膝に置いた手の中、缶の表面を雫が滑り落ちた。  ポタ、ポタ。  金平糖が右に左にと舌の上を転がっていくのに合わせて、私の目からは涙がこぼれていく。  ――特別だった。  サキちゃんだけが呼ぶ名前も。  その名前を呼ぶサキちゃんも。  ――特別だった、のに。 「……失恋日和ですね」 「え」 「どうして泣いているのかと聞かれたら『いい結婚式だったから』って言えるじゃないですか。しかもバレンタインデー。今日失恋しているのは、きっと僕たちだけじゃないですよ」  僕たち。  彼があまりにも自然に言うから。  私も素直に頷いてしまった。 「そうですね」  今になって気づく。  眼鏡の向こう、彼の目元が私と同じように赤くなっていることに。  優しい声が少しかすれていることに。 「いい結婚式でしたね」 「……はい、とても」  彼の言葉に答えた私の口の中、美しかった星は静かに砕け散った。
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