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「どーもー! たこ焼きスカイツリーですー、よろしくお願いしますー」
地響きのような歓声と目がショボショボするほど眩しい照明に迎えられ、二人は独壇場に立っている。
「しかし皆さんの前で漫才できる世の中になって良かったですよね」
「せやねぇ! お客さんもこんなに来てくれはって」
「ちょっと前まで本当に大変でしたもん」
3年前、新型コロナウイルスの影響で人々の生活スタイルは一変した。カオスが通常運転の梅田でさえ、人が消えて街が死んでいた。あたしの会社もリモートワークになり、電車に乗る回数が格段に減った。
コンサートやスポーツ観戦のようなイベントも全部中止。野球の無観客試合の中継で、ボールとバットが当たったときの「カキーン」には妙な清涼感があった。
お笑い芸人のライブはオンライン配信に移行していった。もちろん、あたしが好きなピン芸人サザエ正太郎も。
サザエ正太郎。アイツはすごい。あんなぶっ飛んだネタを考えられる正太郎は、あたしが出会ったことのないタイプの天才だ。
「居酒屋で店員に気付いてもらえなくて呼び方がクリエイティブになっていくセイウチ」とか「視力自慢大会」なんてネタは、どんな人生を送ったら思いつくのだろう。もう意味わからん。好き。最高すぎる。
そんな若手の天才芸人・サザエ正太郎の単独ライブでの話を聞いてほしい。後から思えば、運命の歯車が動き出す音が聞こえたような聞こえなかったような場面だからだ。
彼にとって初めての単独ライブはオンライン配信で行われ、もちろんあたしはリアタイしていた。
画面の中でも正太郎は最高に面白い。自宅でパソコンの画面を見ているだけなのに、ここ最近で一番笑ってる。特に二つめのネタ「いけばなの先生とビジュアル系バンドのギターを兼業してる人」には、彼が自分の殻を破りつつあるのが感じられた。面白い上に成長まで見せてくれるなんて、どないなってんの?
ところが三つめのネタ「もやしの気持ち」の途中で、真っ白な全身タイツでひょうきんなキャラクターを演じていたサザエ正太郎が、声を詰まらせた。
「う、ごめんなさい……ちょっとネタ飛んじゃった……ごめんなさい……」
仕方ないよ、初めての単独ライブやし、ネタ飛ぶくらい平気平気。あたしは気にしないのだが、正太郎は違ったらしい。パソコンが伝えてきたのは、彼の涙声だった。
「本当、ごめんなさい……今日はもうネタできないかも……」
サザエ正太郎は棒立ちのまま俯いてしまった。お笑い芸人らしい白の全身タイツのまま。
「ごめんなさい……でも一人しか見てくれないのつらくて……」
正太郎が立っているのは、煌びやかなステージではなく自宅の白い壁の前。狭いワンルームらしくキッチンのコンロが画面の隅に映っている。
単独ライブなのは嘘ではない。ただし、自宅でネタをやって無料配信するだけの、売れない芸人スタイルだ。照明が悪いのか、俯く正太郎の表情は必要以上に暗い。何なら画質も悪い。
しかも、配信を見ているのはあたし一人だけ。正太郎もつらかっただろう。ゼロ人だったら中止にもできたのに、あたしがアクセスしたばかりに止めることもできなくなった。
オンラインライブは残酷だ。あたしは正太郎のネタで大笑いしたのに、あたしの笑い声は正太郎に届かない。
「っていうか、今見てくれてるあなた、僕のお母さんなんじゃないの?」
ハハハ、と自分で自分を笑う乾いた声が聞こえた。あたしは脳みそからサーッと温度が消えて、自分の唇と指先が震えるのを感じた。
お母さんなわけないやろ。あんたのネタを愛してるファンや。
「一人でもお客さんがいるのは幸せだって分かってるんですけど……なんかつらくて……」
見てる人が少ないくらいでそんなん言うんか。繊細すぎんねん。
「せっかく見てもらってるのに、最悪ですよね……っていうか僕、お笑い向いてないですよね……」
なんで天才やのに自信持てへんの。「いけばなの先生とビジュアル系バンドのギターを兼業してる人」のネタ、手応えあったんと違うん。自分の殻を破って、もっと凄いネタ見せてくれんねやろ、天才。
なのに、なんで最後までネタやらんと俯いとんの。せっかく作ったネタが可哀想やん。あんたが一生懸命作った、あたしが大好きなネタが。
「僕もうダメです、芸人やめます。お笑い向いてませんでした……」
ふざけんなよサザエ正太郎。そんならあたしも、今日であんたのファンやめるわ。
力を込めるほどに震えが酷くなる指を動かして、あたしはコメント欄にこう書き込んだ。
「サザエ正太郎、あたしとコンビ組まへん?」
「それで相方がOLやめて上京してきたんで、たこ焼きスカイツリーを結成したんですよ」
「そーそー、ユーチューブのコメントでなぁ……って、ウソやん! ウソの馴れ初め言うたらアカンよ! 普通に高校の文化祭きっかけやろ!」
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