act.123

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act.123

Present ー現在ー  「私と聡士さん、そして怜央さんの三人で考えた“バステト”の営業方針をご説明します」  主屋の大広間で、皆の手元に資料が行き渡ったのを確認した後、アルフォンスが口火を切った。 「これまでセクメトでは、モダンフレンチを基本としたスタイルをとってきましたが、バステトでは、フレンチだけにこだらず、日本料理を筆頭とした様々な料理技法を融合させた形へと進化させていきます。なるだけこの土地の旬の食材を使い、その食材の良さを一番生かす調理法を私と聡士さんで検討しながら、メニューを決定していきます」  アルフォンスがそう言うと、重幸が素朴な疑問を口にした。 「だとすると、食材が短期間で頻繁に変化するということですよね? そうなると定番メニューが作りにくいっていうか。コースメニューとアラカルトはどんな感じで組んでいくんです?」  悠次郎の質問に、アルフォンスと聡士が一瞬顔を見合わせる。  アルフォンスは皆に顔を向け、こう宣言した。 「アラカルトは作りません。コースメニューのみにします」  アルフォンスの発言に、一同がざわついた。 「え? じゃ、ミシュランの三つ星は取りに行かないってことですか?」  悠次郎が皆の疑問を汲み取って、そう聞いてくる。  アルフォンスはこう返した。 「私たちは、ミシュランのために料理を作るのですか?」  今度は悠次郎と重幸が顔を見合わせる。  アルフォンスは続けた。 「私と聡士さんが目指す店とは、このような“僻地”であってもお客様の足が途切れず、なおかつ全てのお客様から“また来たい”と感じてもらえる店であることです。そこにミシュランの星は必ずしも必要ではありません」 「確かにそうですが…………。コース料理だけだと単調になりませんか? こちらのメニューにお客様側が合わせる形になってしまう。こういうことはありえないとは思いますが、その時提供しているコース内容が全てお客様の好みでない場合もゼロとは言えませんよね?」  悠次郎の指摘に、聡士が口を開いた。 「俺たちは、すべてのコースメニューを画一的に提供するとは言ってない」 「え?」  一同、同時に声を上げる。  聡士は先を続けた。 「セクメトでは、お客様に予約を入れていただく段階でアレルギーや食べられないもののヒアリングを行ってきた。バステトではそれをもう一段階高めて、お客様の好みや期待するものも含め、しっかりとヒアリングを行う。そしてそれを元に、お客様それぞれに合わせたコースメニューを作っていく。メニューは予約日の二日前までに決定させて、それに合わせて仕入れ計画を立てていくようにしようと思う」 「つまり、コースメニューをオーダーメイドするってことっすか………!」 「じゃ同じ日にご予約が入っているお客様でも、内容の違うコースメニューが提供されるってことですか?」  果凛の声に、アルフォンスが頷いた。 「そうです。とはいえ、一部カブるメニューも出てくるとは思いますがね。でも、隣が自分達と違う料理を食べていて、それが美味しそうなら、“次はそれを食べたい”ってなって、また来てもらえそうでしょ?」  アルフォンスがコミカルに両肩を竦めると笑いが起こった。 「いやぁ………。でもそれが本当にできれば、お客様も喜ぶでしょうね。シェフがわざわざ自分達のためだけにコースメニューを組んでくれるなんて…………。でもその分、物凄く手間がかかりますよね。昼も夜も、その調子でやっていくんですか?」 「ああ。営業時間は夜だけです。ランチ営業はしません」 「えっ⁉︎」  一同の身体が前のめりになる。  アルフォンスは続けた。 「しかも、開店時間も通常の店とは大きく異なります。16時から19時にしたいと思っています」 「えっ、し、7時に閉まるんですか⁉︎ 早くないっすか?」  重幸がガタリと立ち上がった。 「仕方ねぇだろ。そうしねぇと快速電車の終電がなくなる」 「あ」  怜央の鋭いツッコミに、勢いよく立ち上がった重幸がすごすごと座った。  アルフォンスが苦笑いする。 「まぁ東京と同じようにはいきません。都会より不便なのは、致し方ないことです。 しかし、早い時間に閉店することはデメリットだけではありませんよ。メリットもあります」 「何ですか?」 「スタッフが早く仕事を終えることができます。これは大きな利点です。ランチ営業をしないことでも同じ効果がありますね。朝、余裕を持った時間から仕事に取り掛かれる。これはスタッフの心身の健やかさにつながりますよね。それは、きっと仕事にもいい影響を与えることになると、私は確信しています」  アルフォンスはそう話ながら、聡士を見つめた。  聡士が小さく微笑む。 「それ、いいですねぇ」  満留が呑気にそう声を上げた。  その隣で、まだ少し不安げな表情の悠次郎が、顎をひとしきり撫でる仕草をする。 「でもそれで経営が成り立ちますか………? ランチもせずに、夜も下手したら二交代制で回せないかもしれない訳ですよね? セクメトの時と比べると、客の数が格段に減ってしまう」 「確かに、それが一番の課題ですよね」  アルフォンスが悠次郎に向かって何度も頷きながら、そう返す。  そして不敵にニヤリと微笑んだ。 「客単価をセクメト時代より大幅に上げます。コースメニューは、基本35000円としますが、オプションで45000円と55000円の三つの価格帯を用意します。それを予約時にお客様に選んでもらう」  皆一斉に息を呑んだ。 「セクメトのコース価格の倍以上だ………」 「それ、ドリンク代は…………」 「もちろん別です」 「ですよねぇ」 「じゃ、ドリンクも入れると、下手したら最低でも一人につき4、5万くらいかかるってことか…………」 「うっわー!!! スッゲェ強気! だ、だ、だ、大丈夫ですかね? そんなんで、ホントにこんな田舎まで食べに来てくれますかね⁉︎」  重幸と徹が両手を握りあって、身体を震わせる。 「それに見合う料理を作るのがお前らの力量ってもんだろ。これまで以上に技術を磨いていかねぇとダメだってことだ」 「ヒーーーーーー!」  重幸が白目を剥く。 「セクメトが安すぎだったんですよ。私のフランスでの店でも、客単価はそれぐらいでしたからね。私がまた新しく店を開くと宣言すれば、目の色を変えて飛び上がり、歓喜の雄叫びを上げる方々が世界中にたくさんいるはずです。そんな方達は、むしろ喜んでお支払いしてくださると思いますが」  アルフォンスは、軽い口調でそう言った。 「さすがホワイトナイト…………」 「自画自賛なんだか、事実なんだか、全然わかんねぇな…………」 「とはいえ」  呟き声を遮って、アルフォンスが話を続けた。 「今ご説明したプランだけでは、さすがに敷居が高いだけの店になってしまいます。特に地元の方との繋がりが薄くなってしまう。それだけは避けねばなりません」  アルフォンスは立ち上がると、テーブルの周りをゆっくりと歩き始めた。 「セクメトでもそうであったように、地元の人に愛される店でなくては、長続きはしません。私たちがここで営業を開始することによって、彼らの生活にも影響が出て来るからです。それがいい影響をもたらすこともあるでしょうが、逆に迷惑をかけてしまうこともあるかもしれない。それで地元から嫌われてしまっては、やりにくくなってしまいます」 「それはわかります。でも、どうするんですか? この町の人たちがそんなにお金をかけて食べに来るとは到底思えないです」  果凛が背後を通り過ぎるアルフォンスを振り返りながらそう言うと、アルフォンスは「確かにそうですね」と答えつつ、ふと足を止めた。 「だから、地元の人でも気軽に来てもらえるベーカリーを併設します」 「パン屋さん? パン屋さんを一緒にするってことですか?」 「ええ。これは怜央さんとも相談したのですが。訪米スタイルのレストランとして営業するとした場合、個室が多いのは返ってデメリットです。ホール管理の目が行き届かなくなり、その分人をたくさん雇わなくてはいけなくなる。したがって、主屋にたくさんある個室は、あれほどいりません。だからそれを一つだけ残して、後の面積をベーカリーショップにしてしまおうという作戦です。マタギの師匠らからの情報を小耳に挟んだところ、町で唯一のパン屋さんが高齢化で2年前に閉店してしまい、それ以来焼き立てパンが食べられなくなったと嘆いておられました。どうです? 焼き立てパン、需要がありありだと思いませんか? 今開けば、まさに独占です!」  アハハハハと魔王のような声でアルフォンスが笑う。 「ベーカリーは朝からオープンして、レストランが開く前まで営業し、その間レストランのホールをイートインスペースとして解放して簡単なドリンクを出してあげれば、地元客のみならず、観光客の来店も見込めます! これで昼間の収入もある程度見込めますし、なおかつ夜の営業で提供するブレッドも料理に合わせた自家製のものを出せるとなれば、それも武器となる訳です! 我ながらなんて良きアイデア」  その場に「おーーー」という低い唸り声が響いた。  ふいに満留が手を上げる。 「確かにいいアイデアですけど、じゃ新たにパン職人を雇うってことですかぁ?」  満留の質問に、アルフォンスはニタリと笑った。 「いるじゃありませんか。ここに適任者が」  突如アルフォンスは、徹の背後に回り込むと、彼の両肩の上にバンッと手を置いた。  驚いた徹が目に見えてビクッと飛び上がる。 「わっ! び、びっくりしたー………」 「え? と、徹が?」  皆の視線が徹に集中し、徹自身も驚きの顔のまま、キョロキョロと見回した。 「え、お、俺が? い、いいんですか?」  徹は戸惑ったように、聡士を見る。  聡士が「うん」と穏やかな表情で頷いた。  「お前、本当はパティシエやりたいって思ってたんだろ? だからもう料理人見習いは卒業しろ」 「 ── え…………。ホ、ホントに? い、いいんですか…………?」 「これまでは怜央がデセールを作ってきたが、夜の部のデセールもお前に任せる。昼の間に作っておいてくれればいい。俺らとは勤務時間帯が合わなくなるが、それでも自分の本当にしたいことをする方がいいに決まってる。ずっと言い出せずにいたんだろ?」 「聡士さん…………」  珍しく徹の目に涙が滲む。 「よ、よ、よ、よかったな! 頑張れよ!」  なぜか鼻水を垂らして徹以上に泣きながら、隣に座っていた重幸が徹の背中を叩く。   「でも、じゃ、トゥルナンは…………」 「そこからは怜央さんの出番ということになりますね」 「え? まさか怜央さんがトゥルナンを?」  アルフォンスの言葉を受けて、重幸が鼻水をティッシュで拭いながら、横目で怜央を見る。  怜央は「バカ、違うよ」とテーブルの下で重幸を蹴った。 「なんで俺がお前より下っ端になるんだよ」 「いやだって、さっきアルさんが怜央さんの出番だって…………」 「怜央さんは、我が店の人事を担当していただきます」 「人事?」 「料理のレベルを上げていくには、もうこの人数で回すのは無理です。新たな人材を入れていかないと。我々の中で一番人を見る目に長けているのは、この人ですからね」  アルフォンスがまたもニヤリと笑いがなら怜央を見る。怜央もまたそれに応えるように、ニヤリと笑った。 「怜央さんには、広報や経理、店全体の運営管理などを一手に引き受けてもらおうと思っています。言ってしまえば、“常務取締役”というポジションでしょうか」 「お前らせいぜい頑張って働けよ。ボーナスの査定、今度から俺がするから」  怜央はニヤニヤと笑ったまま、その顔を重幸に向けた。 「デビルスマーイル!!!」  重幸が再び震え上がる。  そんな彼を華麗にスルーして、アルフォンスが「ま、こんなものですかね。大体の説明としては」とまとめる。 「そうだな。何か質問、あるか?」  再び、「ハイ」と満留が手を上げた。 「なんだ?」 「聡士さんがシェフとして厨房に入るとして、新たな人を雇うのもわかったんですけど、じゃ、バステトのメートル・ド・テルは一体誰が………。も、もしかして、ボ………」 「果凛がする」 「えっ、わ、私ですか⁉︎」  目に見えて項垂れる満留の向かいで、果凛が自分を指差して驚きの声を上げた。 「お前以外にいねぇだろうが」  怜央が透かさずそう言う。  果凛は、キョロキョロと周囲を見回した。 「で、できるでしょうか………? 私に…………」  不安げな表情を浮かべる果凛を見つめ、聡士は「うん」と頷いた。 「できる。絶対にできる。果凛なら」  その力強い言葉に果凛は一瞬顔を綻ばせたが、またすぐに躊躇いの表情を浮かべ、隣の徹を見た。  その視線に怜央がすぐに気づく。 「なんだ? 何か他に不安なことでも?」  怜央がそう聞くと、果凛が「実は…………」と呟いた。 「私たち、近いうちに結婚しようと思ってるんです」 「何ぃーーーーーーーーー!!!!!!!!!」  重幸が今日一番の大声を出しながら立ち上がった。ガタン!と椅子が後ろに倒れる勢いで。 「もし、赤ちゃんができたら、メートル・ド・テル、できなくなるかもです…………。それでご迷惑をかけてしまうのは…………」  そう言いながら果凛が聡士を見る視線を追い、他の皆の視線も聡士に集まった。  聡士は頭を深く項垂れさせ、テーブルの上についた両拳をブルブルと震わせていた。 「ど、どうしました、聡士さん?」 「あ。これ、マズイやつじゃね? 徹、逃げる準備しておいた方がいいヤツじゃね?」 「そ、そうですかね?」  言われるがまま身構える徹だったが、突如聡士がガタリ!と立ち上がると、ツカツカと二人の元まで来て、背中越し二人をグッと抱き締めた。 「よかったな! おめでとう! こんなに嬉しいことはない!」  聡士が目尻を赤くしながら、大きな声を上げる。 「聡士さん…………」  果凛が思わず涙ぐむ。  周りの皆も、ほのぼのとした視線を三人に向けた。 「いやぁ、感動的ですね」 「本当だな」  満留と悠次郎がそう呟く中、重幸は床に突っ伏しながら、おいおいと泣き声を上げた。 「ワンチャン、なかったぁーーーー!!!」 「あっちは悲劇的ですね」 「本当だな」  二人のツッコミをよそに、聡士が喜びの言葉を続ける。 「子どもができても大丈夫! 果凛は仕事を続けろ」 「え?」 「最大限、俺がサポートする! 果凛が働いている間、赤ん坊の面倒は俺に任せておけばいいから。オムツ替えも離乳食も、全部俺がサポートするから!」 「い、いや、アンタも働かなあかんでしょ」  ふいに泣き止んだ重幸が冷静な声でそうツッコんだが、一瞬だけ聡士は真顔になって重幸を見、そしてまた再び感極まった表情に戻った。 「なんなら夜泣きの世話も保育園のお迎えも、将来的には授業参観や運動会だって、全部俺が行くから!」 「い、いや。それ、聡士さんの子どもじゃないですから」 「任せてくれていいから!」 「グエッ、ぐええええええ!」  ついに重幸が聡士からスリーパーホールドを決められる光景を見ながら、満留が白々しい笑顔でぽつりと呟いたのだった。 「今日のシゲくん、多分、人生において一番の大殺界の日ですねぇ」
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