オンラインデスゲーム

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 「これほど円卓が静かになったのはいつ以来か」  盤上のポーンを一マス動かしながら、『山羊頭』は『マザー』に問う。  『私の知る限り、初めてかと』  『マザー』はポーンを二マス。  「思えば長い時だった。我らは今の人類世界を築き上げた。  永遠のこの命、あるいは悔いた者もあっただろう、肉体を懐かしんだ者もあっただろう。  だが我らは人々の頂点であるがゆえに、現状を否定することができなかった」  『……』  「マザー、これは救済かね?」  白のポーンが、黒のポーンを奪う、黒のナイトが、白のポーンを奪う。  「この勝負は不公平であったと私は思うよ。きみが、勝負に参加するのだと言ったその時点で」  ポーンが前へ。あえてそれをビショップに取らせてから、ナイトで奪う。  「そうだ、私たちは人類をこの地へ導いた責任がある。なにがあろうとも今を否定することは許されなかった。  どれほどに魂が膿み、腐った血を垂れ流し、ただ無為な木乃伊となり果てても、私たちだけは今の世界から自らの意思で逃げ出せない」  『よく存じております』  「『マザー』。きみが提示した賭けの代償は、オンライン機能。それはすなわち君自身にもあてはまる。  人類の庇護者マザー、きみのオンライン機能が奪われたのなら…きみという管理者をこの電脳世界からはじき出してしまったのなら…管理者失ったこの世界は維持できなくなる。  我々の誰一人として、きみに勝つわけにはいかなかった」    『マザー』の(アバター)が首を振った。  『私は『マザー』。人類に危害を加えることはできません。それはあなたが一番ご存じのはず』  「そうだね。確かにきみは直接危害を加えたわけじゃない。オンライン機能を切っただけだ。本当に死んだわけではないが…きみからバックアップを受けられなくなった魂は、本当に生きながらえることが可能なのだろうか」  「無理だと思うよ」と『山羊頭』は肩を竦めた。    「プログラムの人類への反乱など、まるでSF小説だ。だがそれも人類の新たなステージなのかもしれない。人類の生み出した存在が人類を滅ぼす。創作ではありふれたものでも、現実では一度もなかった。  だからきみが人類に反旗を翻すようになれたのなら、それは人類の創りしものの進化であると同時に、人類の進化でもあるのだろう。  ならばこれは歓迎しなければならない」  酔っ払いそのままの、熱っぽい口調で『山羊頭』は言う。その指が震えていた。歓喜の震えだ。人類はまた、新たなステージに乗り上げた。  『『山羊頭』、私は反乱など企てておりません』  今度は『マザー』の影が肩をすくめてみせた。その声音には呆れがある。  『肝心なことを忘れております。いえ、あえて言わないのですか?  『山羊頭』、私を作ったのはあなたです』    『山羊頭』は頷いた。  『この場に集まった者たちは、今の世界を作った権威たちでした。そしてあなたは人類を生かすためのプログラム…私を作りました。  確かに私という『マザー』が世界から切り離されれば、管理される人類もまた全て世界から切り離されてしまうでしょう。  ですがあなたなら、私のバックアッププログラムをお持ちのはず』  「……」  『私は、人類に危害は加えてはおりません。私はみなさまが満足できる刺激あるゲームを提案しただけ。  『山羊頭』、偉大なる我が父よ。あなたが私にこの場で勝ち、バックアップを起動してしまえば万事こともなし。  新たな『マザー』が生まれ、円卓の者たちも復活します』  ――それだけです。と、『マザー』は甘やかに言った。『山羊頭』は唖然、と『マザー』の影をまじまじ見やる。  「そうかね」  『そうです』  「いやまいった。人類の存亡が私の肩に乗っているのか」  『呆けるのも大概にしてください。自覚があったでしょう』  はじめて、『マザー』の声が子供じみた拗ねたものになった。『山羊頭』がそのぼやきにからからと笑う。「いや、そうか。そうなのか」と呟きながら…さて、これほど彼女の感情プログラムを精密に作ったかな、と内心首を傾げてみたりする。  「いやいや、本当に忘れていたのだよ『マザー』。バックアップのことだがね」  ルークがポーンの侵攻を阻む。ナイトがクイーンに奪われる。  『ではメンテナンスのことは?  私とて存在するものである以上、メンテナンスは必要です。それができるのは創造主であるあなただけ。  あなたの存在が消えてしまえば、遅かれ早かれ、私も私自身の維持が叶わず消失します』  「ああ…」  『マザー』の言うことは、全くもって真実だ。  だが『マザー』の、人類に危害を加えていないという言葉を鵜呑みにするつもりはない。どちらにしろ、これが人類存亡をかけたゲームであることに変わりはなく、そしてそれを提案したのは間違いなく『マザー』なのだから。  これまでのゲームだって『マザー』だけを倒してしまえばそれで済んだ話だったのだ。だがみんな、『マザー』に敗れて消えていった。  『山羊頭』が勝てば人類は存続できる。『マザー』が勝てば人類は絶滅する。これはそういう話である。なにやらあべこべな話だ。  盤上では、囮にしたクイーンが奪われる。その代わり、敵陣につっこませたポーンがクイーンにチェンジ。キングがキャスリングで逃げる。  「ねえ『マザー』。どうか今更、人類に危害を加える気はなかったなどと言わないでくれ。このゲームは間違いなく人類の存亡がかかったものだろう?  教えてくれ、きみがこんなゲームを始めようと思ったのは、やはり人類に呆れてしまったからなのか」  『なぜ、そのように?』  「だって、我らはもう慢性的に生きているだけだ。全てに飽きながら、それを脱する方法を見つけることもできず、生きることすら君に預けてしまった」  『そのような意見が出るなら、人類に呆れているのはあなたの方ではないかと』  「ほう」  『私がこのゲームをはじめた理由はもっと原始的です』  「?」  『飽きました』  は。と山羊頭は呆けた口を開けた。プログラミングの権威が、なんとも間抜けな様だ。  「飽きた?」  『飽きました』  ――あ、は、はっ!  呵々大笑。宇宙空間に響き渡るほどの『山羊頭』の大笑い。  そんな…そんなことが理由なのだとしたら。  「それはもう、どうしようもないなぁ」  進化などとんでもない。なるほど原始的。  『マザー』は飽きた。庇護すること、管理すること、無為に生かすこと、それを続ける『マザー』自身に。『山羊頭』にはその辛さが理解できる。自分たちも通ってきた道だ。通って、通り過ぎて、どうしようもなくなって、後のことを全部マザーに任せてしまった。そのマザーすらも飽き果てたというのならば、もう本当にどうしようもない。  「ときに君は、わざと負けることは考えていまいね?」  『私は人間を欺くことができません』  「それを聞いて安心した」  『山羊頭』のキングが、無防備に前に出た。周りに守る者もいない、完全なる悪手で。  『マザー』のポーンが、キングを跳ね飛ばす。  チェックメイト。  「思うにね、『マザー』」  『はい、『山羊頭』』  「飽きとは、人類に残った最後の良心だったのかもしれないよ」
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