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ディスプレイの中では、コンピューターウイルスに侵入された人々の影が、もがき苦しみ、次々と倒れ伏す地獄絵図の有様だ。幾人かは自衛用のファイアウォールやワクチンプログラムで身を守りながらモールからの脱出を図っている。ディスプレイ脇に表示されたグラフがウイルス濃度と生存者数を表して、それは対照的な動きをしていた。目に見えないウイルスと、無抵抗に倒れ伏す人々。さながら毒ガスの実験場だ。グラフのウイルス濃度が百%を示したとき、厳かな鐘の音と共に賭けの終了が宣言される。
表示された生存者数は三十。円卓を囲む者たちは無感動に「思ったより多かったな」「いや惜しかった」と結果を語り合い、そうして幾人かの体の一部が弾け飛んだ。
「視神経を賭けたのは五十八回目だが、なにも見えぬ感覚にも飽きたなぁ」
「そもそも『不定形』。その姿ではどこをどう失ったのかわかりにくいわ」
「『猫』や、今度は二足歩行の影などいかがか? その姿で片腕がないのは不便ではないかね」
「なにを言う『山羊頭』。電脳空間では不便もまたゲーム的ハンデの内。本当に生活に問題があるなら、ほれそこの『合成獣』のように代用品を生めばよい」
「『無個性』の言う通り。背骨の代わりにほれ、もう一本腕など生やして当てがってみました。背骨に比べて関節が少ないのが難ですな」
「またこの『倒錯者』の一人勝ちですね。まあ、肺を片方失ったとて所詮疑似体験。無限の命を持つ我らになんの意味があろうか。
ええ、『合成獣』の言うように、これは所詮ゲームなのですから」
新しい傷を増やしながら、彼らの反応は鈍い。億劫そうに身を捩らせ、やれやれと怠惰にディスプレイを眺める。さて次の賭けはと待ちながら…実際にどんなゲームが始まっても、もう感慨を覚えることはないだろう。
先ほどディスプレイの中で倒れた者たちとて、メインサーバーに保存されたバックアップから個々のサーバーにアクセスされて、魂の情報は修復、今頃なにごともなかったかのように復活している。本当に死にはしない。
人類は飽いた。無限の命に飽いた。魂は膿んで永らえるのみ。それは『死』と同意語ではなかろうか。
だが、この場にいる者たちはそれを認めるわけにはいかなかった。誰よりも彼らが認めるわけにはいかなかった。
円卓を囲む者たちは、魂の抽出とネットワーク空間への移住を取り決め、実行なさしめた各分野の権威たちだ。機械学、プログラミング、外科、心療、政治、教育。
その姿はとうに在りし日の面影を失い、当人たちですら、自らの肉体がどんなものであったか思い出せぬ。
そも、人類にとっては名前すら意味を失って久しいのだ。無駄にひねられ考えだされた『名前』とやらになんの意味がある。いちいち覚えるのも面倒だ。
個が判別できればいい。影のわかりやすい特徴のみで呼び合えば、それでこと足りる。
この宇宙空間は、現実世界のどこかに実在する光景を投影したものだが、かつては選ばれた者しかたどり着けなかった場所も、今となって行きたい場所へ行き放題。いまさら感慨はなく、意味を見出せぬばかりになった世界で人類が生に飽きるまで、数百年もあれば十分だった。人類ほど飽き性な生き物も珍しかろう。
人類が死を克服した唯一の生命であり、知恵と知識を得て最も進歩した種族であることは疑いようもない。――だが、飽いた。
『そろそろ趣向を変えたく思います』
姿なき女の声が辺りに響く。『マザー』と『山羊頭』がその声を呼んだ。マザー、マザーコンピューター。いかな人類がサーバーへと移動し、電脳世界という広大な地を手に入れたとて、それらの情報を統括、処理する存在は必要である。声の主はまさにそのためのAIである。
人類の無限の命と安寧の生を約束する、『マザー』。人類の庇護者。
『皆様、今の趣向にも飽きられた様子』
「そうねぇ」
『猫』が相槌をうつ。
『人類は、最初の百年で生み出した娯楽のことごとくを食いつぶしました。新たな創造もありましたが、造られるより消費される方が早かった』
「人類は貪欲だからな」
『無個性』が嘲りの声を上げた。そこに自嘲も籠っている。
『次いで現実世界。ネット回線から干渉、操作することで、自然災害、新生物の創造と絶滅、疑似戦争などシュミレーションや、シューティングを楽しまれました。そして地球及び周辺の惑星環境が著しく変わり切るより早く、人類は飽きました』
「別に星一つ壊したところで、我らに影響はないだろうに。みな飽きるのが早い」
『不定形』がべしゃりと泡の体を円卓に伏せた。
『皆様は自身の持ち物で、賭けを始めました。
最初は金銭を、次いで己の専門知識、親族、己の権威で支配している人々に及ぶまで』
「最後には無関係の他人を賭けるに至りましたが、それが一番スパイスが利いていた。自分がなにも失わないから余計に、こう胸が疼くいうか。今思えば、あれが最後に感じた本当の痛みだったのかな」
『倒錯者』は腕を組んで唸る。
『そして現在、皆さまは自分の肉体を賭けています』
「やはり腕で背骨の代用は難しいですな、うまく体が捻られない」
『合成獣』はそういいながら、背中に生やした一本腕をごりっと抜き取った。
「痛みを再現して疑似死体験で遊ぶこともしたが。百二十回目で飽きた」
『山羊頭』の言葉に、その場に集まった者たちが頷き返す。
彼らの会話を一通り聞き終えて、『マザー』は提案する。
『今度は、皆さまそのものを賭けてはいかがでしょう』
「それでは今と変わらない」
『いえ、賭けるのは皆さまのオンライン機能です』
ざわり、と円卓の者たちが騒いだ。――オンラインを賭ける。
彼らの魂は肉体を捨て、たしかにこのネットワーク上に移った。だが正しくはサーバーというあらたな器に移っただけだ。一人に一つのサーバー。魂の情報は膨大すぎて、サーバーの容量を丸ごと使用する。
そして、そのサーバーとサーバーを繋ぐことで、広大なネットワーク、現在の電脳空間が出来上がっているのである。
オンライン機能を失うとはどういうことか。今の人類世界からも、庇護者たる『マザー』からも切り離されて…ぽつんとサーバーが一つ。
それは永遠の孤立である。まさに自分自身を賭けたゲーム。
孤立の先は誰も知らぬ。誰も踏み込んだことのない未知の領域。
生唾を飲み込む音が聞こえた。
未知。そんなものがまだこの世界に残っていたのか。戸惑いと共に膿んだはずの魂が疼いた。それはとうに忘れた『期待』。
『ゲームはあえて簡単なものといたしましょう。そして私も参加いたします』
場を支配したのは驚愕。
『マザー』は人類の英知だ。そこには人類が積み上げてきた全てがある。そんな存在が勝負の相手になる。無論、こんなことも初めてだ。人類の庇護者が、人類の相手になるなどと。
ゲームは基本自由参加である。気に入らないゲームならば席を離れればいい。だが、立ち上がる者はいなかった。
『では、ゲームを開始いたします』
円卓の一角に、荒いホログラムの人影が現れた。それが、『マザー』の影であるらしい。そうして、マザーが『あえて簡単なもの』と称した通り、円卓の中央に現れたのは、人類が史上最もゲームに使用しただろう原始的なアイテム。
トランプ。
そして各影の前にはチップが積み上がる。
ディスプレイに表示されたのは『ポーカー』の文字。このゲームなら胴元がプレイヤーを兼ねても問題はない。そして、目の前のチップを最初に失った者が敗者となるのだろう。
配られた手札を手に、円卓が数百年ぶりに緊張感ある空気に包まれた。
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