第二章

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 ◇◇◇ 「おかしいな……なんでだろ」  白臣のマンションを出て学校へ向かう道すがら、不二夫は何度も自問している。  なぜ白臣といると、眠ってしまうのだろう。  いつも不二夫は人に遠慮してしまうたちで、裏を返せばそれは、人に心を許さないということになる。  だから一番無防備になるはずの居眠りなど、人前でしたことはないのに。  それから白臣と一緒だと、沈黙が怖くない。  ただ、そこにいて、目に入るものを感じているだけでいい気分になる。  それでも振り返れば、意外といろんな話をしている。とはいっても、不二夫が話すことがほとんどなのだが。  自分の話などつまらないかと心配になってしまうが、白臣はどんな話でも興味深そうに聞いてくれる。  この短い間でも、白臣が嘘をついたり、お世辞を言うタイプではないのがわかっているので「たくさん話してくれてうれしい」なんて言われると、もっと話したくなってしまう。  東京へ出ようと決めた時、一足先に地元を離れてしまった白臣のことが気になった。  まるでストーカーのようだなと思いながら、美容系の予約サイトで検索すると、拍子抜けするほどあっさり居所がわかった。  そこは偶然にも不二夫の住まいから近く、覗きに行けないこともない。でも会いに行く勇気などなかった。  それこそ青山や表参道なら、はじめから諦められるのにと、勝手な思いで腹を立てたりした。  だがなぜ、気になるのだろう。  そもそも白臣は元の店で働いていた知人というだけだ。会いになど行ったら、不審に思われてしまうのは、わかりきっているのに。  もしかして自分は、白臣に会いたいのだろうか。そう思うとしっくりきた。  学校から終えてアパートへ戻ると、実技で習ったことを鮮明に覚えているうちに、ノートへ書き写す。  イラストは得意ではないが、ビジュアルもある程度残しておかないと、後でピンとこないから、丁寧に描く。  不器用を自覚しているから、こうやって繰り返し頭に叩き込んで、努力するしかない。  今まで勉強は大嫌いだったが、目標の為なら苦にならないのだと、不二夫はこの年になって初めて知った。学校のある日はそうやって、どうしても目を開けていられない限界まで復習をした。 「おはようございます」  ホテルのラウンジは、曇りの日でも柔らかな照明とあいまってほんのりと明るい。いつもながら、ここの雰囲気が好きだなと飽きずに思う。  眠くて、あくびをかみ殺すような時でも、ボウタイを結ぶと自然に気分が引き締まる。挨拶をしてフロアに出ると、社員の女性が軽く会釈を返してくれた。  軽くラウンジを一周して、ゴミなどが落ちていないかチェックをする。  ここで仕事をすることも、とても好きだ。  運良く空きが出たタイミングで、この仕事に巡り合えてよかったと思っている。  大きな窓と高い天井。ガラスの向こうは豊かな緑で、都心の喧騒を感じさせない。調度品も美しい、静かで落ち着いた場所。  しかもここで白臣と再会できた。 (きれいな女性だったけれど、お見合いは成立しなかったんだな)  当日に本人から謝罪しているのだから、正式なお見合いではなく、顔合わせのようなものだったのかもしれない。  でも確実に、相手の女性は白臣に恋していた。それだけはわかった。  真摯に頭を下げる様子が見えて、離れた場所からでも断りを入れているのだと気づいた。なぜかほっとしている自分に驚く。  今まで何度問いかけても、白臣は恋愛ごとに興味がなさそうだった。  不二夫が元の悩みを話しているときですら、別次元の話を聞いているような顔をしていた白臣が女性と一緒にいる。  その光景を目の当たりにして、白臣だって恋人ができる可能性があると悟ってしまった。  いや、そんな話がなかった今までがおかしかったのだ。  美容師としての腕は確かで、複数の女性と遊んだりしないまじめな性格。背だって高いし、少し怖く見えるが、実は端正な顔立ちだ。  むしろ欠点がないじゃないか。 「不二夫くん?」 「は、はい!」  見合いをしていた白臣が座っていたテーブルの脇で立ち止まっていたらしい。席がそれ程、お客様で埋まっていない時でよかった。 「すみません、すぐ戻ります」 「なにか、変わったものでも落ちているのかと思ったわ」  社員の女性はそれほど気に留めた様子もなくて安堵する。時給をいただいている以上しっかりと働かなければと、心の中で活を入れた。
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