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◇◇◇
忙しくハサミを動かす白臣は、店内の空気がざわっと変化したのに気づいた。
本店ではよくあることだが、中野でもまったく起きないわけではない。ものすごい美形が入ってきたの独特の雰囲気。
「うわ……」
嫌な予感は的中した。入口でなにやら話している人影と、鏡越しに目が合う。すぐに目をそらしたが向こうの視線はずっと感じている。
「草園さん、ちょっといいですか?」
やがて予想通り、受付のアシスタントがやってきた。声のトーンを落として言いづらそうに切り出す。
「飛び込みの方で……あそこの怖いくらいのイケメンなんですけど……」
イケメンは白臣を指名したので、本日は予約がいっぱいだとやんわり断ったが、手が空くまでいつまででも待っているからとのことだった。
これ以上アシスタントを困惑させてもかわいそうなので、折れるしかない。
「まったく知らない仲でもないから、気にしないでそのまま待たせておいて」
それから白臣が声を掛けるまでの間、目まぐるしく働いている様子を面白そうに見ていた。まさに彼らの得意分野である観察をされているようだ。
「どうした、涅」
「あれ、僕だってバレてます?」
「正体を隠したいなら、もっとオーラを抑えてくるんだな」
一応人間に擬態をしたらしいが、もう少し見た目のレベルを下げることはできなかったのだろうか。
今まさにどこの芸能人かと、店内だけでなく、外からもこっそり盗撮しているやつがいる始末だ。
「白さんは、なんだか凡庸な容姿ですね。新鮮だな」
死神たちにくらべたら、どんな美男美女だって凡人に分類されてしまうだろう。
「まあ、人間姿もなかなか板についてるじゃないですか」
「板につくもなにも、人間だからな。今は」
「もう何回目でしたっけ。嫌にならないんですか? いい加減、玉湾様に降参すればいいのに」
白臣が幾度転生させられようが、涅たち死神にとってはたいした問題ではないはずなのに。ただものめずらしいだけだろう。
「何しにきたんだ? お前は」
「僕? スタイリストの白臣さんにカットしてもらいにきました」
勧めてもいないのにスツールにどっかり座ると、早くガウンを着せろと言わんばかりに、両腕を上にひらひらさせた。
「お前だったらそうするか?」
「え?」
「さっきの質問。お前なら、降参して玉湾のされるがままになるか?」
一瞬だけ不意をつかれたような涅だったが、やはりそこは死神、不敵な笑みを浮かべる。
「いいんじゃないですか、それでも。玉湾様って眺め飽きない美しさだし、それに」
「それに?」
「僕なら側にいて、いつか立場逆転狙いますけど」
「下克上ってことか」
「それくらい企まないと退屈でしょ、僕たち。白さんだって、あんなこまい人間に翻弄されるまでは、あの喫茶店で死ぬほど退屈だったんじゃない?」
「今の不二夫はそんなに小さくないが」
「そういう意味じゃないんだけどな……白さん、不二夫にこだわるの、もうやめたらどうですか?」
「こだわる?」
「言い方を変えましょうか。あの子に執着するのはなんでですか?」
「執着などしてない。ただ存在してくれればいいんだ。目に入るところにいる限りは見守りたい」
「だからなんで、たかが人間ひとりにそこまで特別な思いを抱くの? 確かに不二夫の魂ははじめっからおいしそうですよ。でも白さんはそういうのじゃないんですよね」
「不二夫には、助けてもらったから」
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