第二章

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 湿った空気が顔にあたる。  家に戻ってからずっとうたた寝をしてしまったようで、すっかり暗くなった部屋で目を覚ました。  いつのまにか雨が本格的に降っている。開けっ放しにしていた窓を閉めにゆくとぶるっと寒気がして、ラグの上に落ちていたカーディガンを羽織った。着込んでも寒気は止まらず、喉が痛い。  たかが風邪ひとつでパフォーマンスがだだ下がりするから、人間は面倒くさい。早く身体を温めて休ませないと仕事に支障がでてしまう。  経験上、悪化させないように腹へ適当になにか入れてから休もうと思うのに、それすら億劫でままならない。結局そのままベッドへ潜り込んだ。  ぐるぐるとまわる頭の中で、目ざましのアラームとは違う電子音が鳴っている。たっぷりと時間をかけて、それが着信音だと気づいた。 「…………もしもし」 「白臣さん?」 「ふ、不二夫くん? …………いたっ」  急に飛び起きたから頭がズキンと痛む。画面もろくに確認せずに出たため、不意打ちだった。 「大丈夫ですか……昼間も元気なかったから心配で」 「あ……うん、大丈夫……ゴホッ」  心配させまいと平静を装うのに、身体はいうことをきかない。結局不二夫にものすごく心配され、今から買い物をして部屋に来ると言われてしまった。  学校帰りで疲れているはずなのに、申し訳ないという気持ちでいっぱいになる。 「わ、結構辛そうですね」  開口一番気の毒そうに見上げられた。本当は荷物だけ受け取ろうと思っていたのに、白臣のひどい姿を見るに見かねたのか、有無を言わさずベッドに連れていかれた。渡されたイオン飲料が喉に心地よい。 「お粥とか雑炊なら食べられるかな? どっちが好きですか?」 「……雑炊」  ダイニングまでいくと伝えるも、怖い顔をした不二夫に止められてベッドに横になる。目を閉じていると、やがてふんわりと出汁の香りが漂ってきた。ここまで持ってきてくれたようだ。 「起き上がれますか?」 「うん……いただきます」  卵とネギが入っている。胃に染みるというか、ものすごくおいしい。昼間食べたフレンチよりもずっと。そう伝えると不二夫が恥ずかしそうに笑う。 「よかった……昼間はめずらしく食欲なさそうだったから。食器、片してきますね」  食べ終わると不二夫がキッチンへ行ってしまう。喪失感の中、再び眠ってしまったようだ。  翌朝は嘘のように身体がすっきりしていた。温かくて、汗をたくさんかいた気がする。 「…………えっ」  あまりの驚きに、鼓動がありえないほど早くなった。なぜか胸の前にある頭を、白臣の右手ががっしりと押さえ込んでいる。  声で目を覚ましたのか、その頭がもぞりと動いた。 「大丈夫ですか? 白臣さん」 「嘘みたいにすっきりしてる、というかごめん……重いよね」  なんとなく思い出してきた。離れてしまったと思った不二夫が様子を見に戻ってきたので、引き留めた。そして手を離さないから、不二夫は仕方なく添い寝する羽目になったのだろう。  そんなことをしてしまった自分がまったく信じられないが、滅多に発熱しないから、おかしくなっていたに違いない。 「ううん……白臣さん、すごく寒そうにしてて。俺って体温高いから湯たんぽ代わりにでもなればいいかなって」  寝起きのせいか、いつもより低く、ゆっくりとした声が身体にまで響いてくる。  こんなにもそばに不二夫がいる。またもぞもぞと動き、不二夫の腕が伸びて額に手をあてられた。 「うわっ……」 「本当だ。熱下がってますね。よかった……」 「いろいろ、ありがとう」 「……っていうか冷静になるとこの姿勢、恥ずかしいですね」  ほんのり頬を染める不二夫から目が離せないでいると、額から頬までをそっと撫でられた。  もの言いたげな瞳が揺れている。不二夫からみつめられると、なんだか泣きたくなる。  抱きしめたい。腕の中に閉じ込めてしまいたい――。  思いが湧きでてくる。おかしいと思うのに、それは溢れ出て止められなくなりそうだ。  己の中から出た感情に驚くが、きっと本調子じゃないから、変な感情になってしまっているだけだ。伸ばしかけた腕を、どうにか抑える。 「不二夫って呼んでくれたのに」 「えっ……」 「昨日、初めてそう呼んでくれて……うれしかったな」  またうれしいと言いながら諦めたような、複雑な顔をしている。そんな顔を見たくないと思うのに、どうすればいいかわからない。やがてするりと頬の手が離れた。 「じゃ、俺行きますね。雑炊、まだ残ってるからよかったら食べてください」  不二夫が出ていったあとのベッドは急に広さを感じる。揃っていたものが足りなくなったのに、それがなにかわからないような焦り、それから胸に棘が刺さったような気持ち。自分はどうすればよかったのか。  白臣は完全に不正解だったのだと思う。その後不二夫から連絡が来なくなったからだ。
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