第二章

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 店を出るといつもの自転車ではなく、中央線に飛び乗る。  今ならまだ下校時間に間に合うはず。新宿に着いて、不二夫の通っている製菓学校を目指した。だが現地に着くと途端に自信がなくなる。 「もしかして間に合わなかったか?」  すでにちらほらと下校する学生が見える。夜間部は学生の年齢もまちまちだから、学校のビルから一歩出てしまうと一般人との差がすぐにわからなくなってしまう。不二夫はどうだろう。もう出てしまったか? 最寄りの駅で待つべきだったか。一刻も早く会いたくて急いてしまった。 「あっ……」  小さな声は紛れもなく不二夫だ。一瞬驚いたようだが、すぐに無表情というか、少し怒っているようにこちらを見据えた。 「白臣さん、なんでここに?」 「学校の前なら会えるかなと思って」  伝えたいことがたくさんあったはずなのに、なにから話していいかわからない。  結局ゆっくり歩く不二夫とともに西武線に乗りこんだ。時折目が合うが、世間話をする雰囲気でもなくて黙り込む。その繰り返しでとうとう最寄りの駅まで着いてしまった。  電車を降りてからはすたすたと前を歩いていた不二夫が、急に足を止めた。 「話すことないなら、俺帰りますけど」 「えっ……」 「うちのアパートに着いちゃったんで」 「ごめん……えっと」 「入りますか?」  軽くため息をつくと、中へ入るよう促してくる。  待ち伏せしたかと思えば、後ろをついて歩くだけの気味悪い男を、きっと不二夫は呆れているだろう。  1Kの間取りは、白臣が学生時代から就職してしばらく住んでいた部屋によく似ている。キッチンは小さなスペースを工夫して食器や調理器具が並べられていた。  節約していると言っていたし、まめに自炊しているのだろう。ここで生活している不二夫が自然と目に浮かんだ。  愛おしくて、大切な不二夫がいる風景。その隣に立つのは――。 「会いたかった」 「……白臣さん?」 「俺はもう不二夫に出会う前の自分が、どうやって生きてきたかわからない。本当に世界が変わって、心が嵐みたいに毎日大変なんだ」  はっと息を呑んだ不二夫が、黙って白臣を見上げている。 「好きだ。どうしようもなく、不二夫のことが好きなんだ」  言ってしまった、何度人生を繰り返しても言うつもりのなかった言葉を。きっと今生の不二夫にしか発せない言葉を、言ってしまった。 「だから俺は不二夫の気持ちが知りたい。迷惑ならもう二度と会わないから、このまま追い出してほしい」 「…………俺が、白臣さんを迷惑になんて思うと思いますか?」 「情けないがわからない……自分の気持ちすら、ずっと認めてやれなかった」 「白臣さんは元さんのことがあったのに、地元にいるときからやさしくしてくれて。東京でもいつだって俺のこと応援してくれて、一緒にランチをするのもすごく楽しみだった。でも」 「うん」 「……白臣さんのことがわからなくなって、不安だった」  看病してくれた日のことを言っているのだろう。  それから熱に浮かされ、手を離してくれなかった白臣の横でずっとドキドキしていたこと。  それなのに、朝になったら触れてくれなくて、やっぱり勘違いをしていたのかもしれないと落ち込んでいたと不二夫から聞かされた。 「ごめん」  戻れるなら、あの時の自分を殴ってやりたい。  自覚するのが遅かったり、悪あがきで気持ちを認めないようにしていたことが、結果的に悩ませていたなんて。不二夫の気持ちを考えていない証拠じゃないか。 「俺が不甲斐ないばかりに、嫌な思いをさせた。本当にごめん」 「違う。白臣さんを好きだから不安だっただけで、嫌だったわけじゃない」 「えっ……」 「だから、俺も白臣さんが好きだって! …………言ってます」 「本当に?」  コクンと不二夫が頷く。  信じられない――白臣自身の気持ちを自覚しただけでもありえない出来事だったのに。  もう、我慢しないで触れてもいいのだろうか。
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