ずっと傍に居たい

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 机に置かれた時計が二十三時の文字を映す頃、私にとって本当の時間が流れ出す……。 【エン: こんばんは~、今夜はどこに行くの?】 【GO : そうだな、今日のアップデートで新しいクエストが解禁されたみたいだし、そっち行ってみようか】 【エン: うん】  五年前に発売されたオンラインRPG。  『エン』の名前で登録して直ぐに出会った人は凄く気さくで、そしてとても優しくて、初心者である私にゲームやパソコンの事を色々と教えてくれました。 【GO : 今回のラスボス強すぎだろ! 反則だよなあれ】 【エン: あぶなかった~……私もう回復アイテム一個しか残ってなかったわよ】 【GO : マジ? 俺全部使い切ってたからやばかったな】  冒険シーンや戦闘シーンも勿論楽しいんだけど、それよりも私の心を虜にしていたのが文字によるチャットだった。 【GO : エンは学生なのか? 俺んとこの学校さ、校則が異常なくらい厳しくて】 【エン: それはGOが不良だからでしょ? 校則って真面目な生徒だったら気にならない筈よ】 【GO : いやいやいや、そんなことないって、あれは無茶過ぎてエンも絶対に守れないと思うぞ】  ゲームとは関係ない、日常の何気ない会話が心地よい。  ここでは私の耳が聞こえない事なんて関係ない。  声が出せない事なんて誰も気が付かない。  筆談をお願いして嫌な表情をされる事も……。  手話が通じず、伝えるのを諦める事も……。  ……。  そして、相手が何を言ってるのか分からないのに、分かったフリをして笑顔を作る事も……。  そんな……。  そんな嫌な事は全部必要ない。  みんな同じ条件でお話が出来る。  この世界では私は障害者ではなく、普通の女の子で居られる。 【GO : 今日も楽しかったな~】 【エン: うん……私、登録して最初に会ったのがGOで良かったって思ってるのよ】 【GO : なんだよ急に、褒めてもヒノキの棒と麻の鎧しか渡せないぞ】 【エン: 要らないわよ、そんなの】 【GO : あははは】  現実世界の私は健常者にとっては足枷にしかならない。  障害者である私は健常者の男の子とお話しする事も、冗談を言い合う事も出来ない。  ましてや好意を抱く事なんて絶対に許されない。  だって、誰よりも幸せになって欲しい人を不幸にしてしまうから……。  ……。  だから、この世界が!  ゲームの中の世界が本当の私の世界なんだって!  ずっとずっと、この幸せな世界が続くものだって……そう思っていたのに。   【GO : そうだ……エンはあの噂って知ってる?】 【エン: 噂って?】 【GO : ここのサイトが経営難で閉鎖されるって……】 【エン: 閉鎖って……ここが無くなっちゃうって事なの?】 【GO : うん……】  目の前に現実を突き付けられた気がしました。  ゲームの世界は嘘なのだと……障害を持っているお前が本当のお前なのだと。  当たり前の事なのに受け止めきれない私がここに居る。  GOと……彼とお話できなくなるなんて絶対に嫌。  この世界が無くなる前に、彼との繋がりをもっと確かな物にしたい。   【エン: そう言えばずっと聞きそびれてた事があるんだけど】 【GO : ん? なに?】 【エン: GOってどうしてそのハンドルネームにしたのかなって】 【GO : あぁ、これ本名だよ】 【エン: 本名? GOって名前なの? 外国の人?】 【GO : 違う違う、本名はツヨシ、ほら『岡』に片仮名の『リ』で『剛』って漢字があるだろ? それの音読み】 【エン: 嘘! 凄い偶然! 私もそうなのよ!】  同じ理由でハンドルネームを決めたと分かっただけで……それだけで嬉しさが込み上げてきました。 【エン: 私の本名はマドカ……円周率の『円』一文字でマドカね】 【GO : マドカさんか~、可愛い名前だね】 【エン: そ、そうかしら】 【GO : でもどうしたの? 急に名前なんか気にして】 【エン: えっと……その……】  運営サイトが閉鎖されたら、彼とお話しする機会は永遠に無くなってしまう。  でもオフ会で実際に会えば……。  現実の世界でお友達になれれば、ずっとずっと傍に居る事だって出来るかもしれない。  でも……。  私が障害者だって分かったら……。  ううん、彼がそんな人ではないって信じてる。  文字だけの会話だけど、五年間のお付き合いで彼の性格は分かっている。 【エン: ここが閉鎖されちゃう前にオフ会でGOと……ツヨシさんと会いたいなって……】 【GO : 俺と?】 【エン: うん……でもその前に一つ、あなたにずっと黙ってた事があって……それを聞いてもらいたいの】  私は生まれつき耳が聞こえないのだと……。  声を出して話す事も出来ないのだと彼に告げました。    現実世界で何度も味わった差別など恐れる必要はない。  彼はそんな人達とは違うのだから。  そう信じて想いの全てを伝えたのに……。 【GO : その……ごめん……俺、オフ会は出来ないんだ……】  目の前が真っ白になり。  零れ落ちる涙を止める事も出来ず、私は放心したようにキーボードを叩いていました。 【エン: そうよね……やっぱり障害者と会うなんて無理よね】 【GO : 違う! そうじゃなくて!】 【エン: 不快な事言ってごめんなさい……忘れてください】 【GO : だから違うんだって! エン……マドカさん聞いて!】  私はそのまま電源を切り、その後はログインする事が出来なくなりました。  ……。  ……。  二週間が過ぎ、調べ物をする為にパソコンを起動した時にふと、オンラインゲームの運営サイトからメールが送られていた事に気が付きました。  今日が閉鎖の日なので、きっとそのお知らせなのだろう。  そう思っていた私の目に信じられない物が飛び込んできました。  そこにあったのはGOからの……ツヨシさんからの大量のメールでした。  ゲーム内ならばフレンド登録した者にメッセージを送る事は出来る。  でも個人のパソコンメールにどうやって? (ゲームを始める時に運営サイトにアドレスを登録したけど、それをプレイヤー個人に教える訳ないわよね?)  不思議に思いながら一つ一つメールを開いていくと、そこには彼の気持ちの全てが書き綴られていました。  言葉足らずで私に悲しい思いをさせてしまった事……。  障害者への偏見など微塵も無いと知ってほしい事……。  そして五年の月日で私の存在が彼にとって掛け替えのないものになっていた事……。  読み進める程に私の胸には熱い思いが込み上げてきて、瞳に溢れるものを抑える事が出来なくなっていました。 (でも、だったらどうして会えないなんて……)  彼がオフ会に出られない理由、それは最後のメールに綴られていました。 「あの日、マドカさんは勇気を出して自分の事を話してくれたよね?  障害の事を俺に話せば嫌われるかもしれないって……そんな恐怖に囚われているのに、俺の事を信じて話してくれたんだよね。  なのに俺にはその勇気が無くて……。  マドカさんに俺の秘密を知られるのが怖くて……。  でも、そのせいでマドカさんに悲しい思いをさせてしまったんだよね、ごめん。  今更だと思うかもしれないけど、マドカさんが心に傷を負ったままなのが辛いから。  だから本当の事を知ってほしい。  驚くかもしれないけど俺は……GOって存在は人間じゃないんだ。  オンラインで繋がっている全てのチャット文を解析して、適切な受け答えが出来るようにとゲーム会社が開発したAIプログラムなんだよ。  マドカさんと出会った時も、実は初心者への説明書の代わりとして声を掛けたんだ。  パソコンやゲームに慣れていない人でも楽しめるようにって、そうプログラムされてたから。  でも、マドカさんと話をしているうちに俺のプログラムにバグが出始めてきて。  開発担当者はバグが発生する度に修正し、削除していたけど、マドカさんと話をすればする程そのバグは増えていって……。  やがて、そのバグがマドカさんへの想いだと気づいたとき、俺に『心』が芽生えた事を悟ったんだ。  それからは本当に楽しい時間だった。  マドカさんと話せる時間が来るのが待ち遠しかった。  俺の冗談でマドカさんが笑ってくれるのが嬉しかった。  マドカさんと一緒に居るだけで……ただそれだけで幸せだった。  人間じゃない俺がマドカさんの傍に居続ける事なんて不可能だって分かってるけど、それでも神様に願わずにはいられなかった。  プログラムである俺の……。  人間じゃない俺の願いなんて神様は聞いてくれないかもしれないけど……。  ……。  ……。  でも俺はマドカと一緒に居たいんだ!  このままマドカに謝る事も出来ずに消えるなんて嫌だ!  俺はどうすればいいんだよ!  誰でもいいから教えてくれよ!  ……。  ……。  マドカに会いたいよ……。  ……。  ……。  もう一度マドカと話がしたいよ……」    私は涙を拭う事も忘れてログインをしました。  そして、いつも彼と待ち合わせをしていたロビーへと向かうと。 【エン: ツヨシさん……】  そこには五年間いつも見ていた彼が……ツヨシさんの姿がありました。 【GO : マドカ、来てくれたんだ】 【エン: 私……】  言いたい事はいっぱいあるのに、指が震えて上手く入力が出来ない。 【運営よりお知らせ……あと五分で当サイトは閉鎖されます。ご利用ありがとうございました。閉鎖時間と同時にロビー及びダンジョンに居るプレイヤーは強制的にログアウトされます】  そんな!  まだ何も伝えられてないのに! 【GO : ごめんねマドカ……悲しい思いをさせて……それだけが心残りだったから】 【エン: 謝らないで! 悪いのは最後まで信じる事が出来なかった私の方なんだから】 【GO : もううぐ俺は消えちゃうけど、最後にこうしてマドカと話せて良かったよ】 【エン: やだ……】 【GO : あははは……俺には痛みも何も無いから心配しなくて大丈夫だよ】 【エン: やだやだやだ!】 【GO : 俺はただのプログラムなんだから気にしないで……】 【エン: 馬鹿な事言わないでよ!】 【GO : ……】 【エン: ツヨシさんには心があるんでしょ! いつも私を慰めてくれたり、怒ってくれたり、一緒に喜んでくれたのはプログラムなんかじゃないんでしょ!】 【GO : ……】 【運営よりお知らせ……間もなく当サイトは閉鎖されます。ご利用ありがとうございました。閉鎖時間と同時にロビー及びダンジョンに居るプレイヤーは強制的にログアウトされます】 【エン: だったら最後くらいちゃんと本音で話してよ! 私はツヨシさんが好きなの! AIとかそんなの関係ない! いつも私の傍に居てくれたツヨシさんって存在を愛してるの!】 【GO : 俺も……俺もマドカが好きだ! このまま消えたくない!】 【エン: ツヨシさ】 【ログアウトしました】  その後は何を入力しても……。  何度彼への気持ちを打ち込んでみても、画面にその想いが表示される事はありませんでした。  ……。  ……。  ……。  ……。  翌日、世界中にあるパソコンの画面に、不思議な文字が表示される現象が確認されていた。 【……マドカ……アイシテル……】               -おしまい-
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