夏休みが来た 10

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「で、どこに食べに行く?」  運転席で将之が訊く。エンジンをかけた車の中、通風口に火照った顔を近づけて助手席の礼は、 「私、あそこに行きたーい」  すかさず答えた。  後部座席に一人座る知己は、先ほど一人やり玉に挙げられ、不貞腐れている。 (『あそこ』で分かったら、熟年夫婦だ) 「もしかして、あそこかな?」  と将之が言うので (おいおい! マジで熟年夫婦だったのか? この兄妹……)  と本格的に不貞腐れた。 「先輩。フランス料理のお店ですけど、いいですか? 車で5分くらいの所なんですが」  バックミラー越しに、機嫌でも取っているつもりかウィンクしつつ将之が訊く。 「礼ちゃんのおっしゃる通りでいい」  謎の敬語で知己が応えたら 「何を拗ねているの?」  礼が後部座席を振り返り、不思議そうに知己を見つめる。 「どうせ俺は、蟹を苛めるゴキブリ以下の男だよ」 「なあに? サル蟹合戦の話?」  礼が尋ねると 「多分、……違うと思う」  将之が拗ねた知己に、その間もミラー越しにしつこくウィンクを送ってきている。 (もー、なんだよ! 鬱陶しいな! お前は礼ちゃんが居ればいいんだろっ)  苛立ちまぎれに、ぷいと知己は外を見た。 「伝わらないな……」  諦めて、発車させる将之に礼が 「何が?」  と訊いた。 「思い」  将之が短く答えると 「重たい思い、きしょい……」  韻を踏んで礼が応えた。 「……礼ちゃんは、変な日本語を覚えて帰らないようにね」 「やだ。『もいきー』と『きしょい』ぐらいしか、仕入れてないわよ」 「十分、変な日本語だよ」 「後、『ジャンプしてみ』」 「……先輩」  ちらりとバックミラー越しに知己を見ると 「俺じゃないぞ。それ、教えたの」  知己は慌てて否定した。 「あ、着いた」  お目当ての店に着き、見慣れた店構えを見て、礼が呟いた。  確かに5分も経たずに、礼の行きたいレストランに着いたようだ。
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