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「やめてって言ってるでしょ、お兄さん!」
バシッ。
乾いた音が響いた。
「……?」
突然の事態に全員が動揺し、静まった。
「……なんで、僕をぶつのぉ!?」
魂飛ばしていた将之が正気に戻るなり、背後の礼に詰め寄った。
「だって、私の話を聞いてくれないんだもん!」
182㎝の将之に対し、礼はヒールを履いて165㎝。やや伸びあがる形で平手打ちを食らわしていた。
身内に対する微塵の遠慮ない暴力だったことは、将之の頬の赤い手形が語っている。
「いい? 自分に何の得もないのに、人の嫌がることをわざわざ言ってくれる人に、なんてことを言うの。たかだか5日一緒に生活しただけの他人の事情も何にも知らないくせに首ツッコんで、やなこと言うのって、すごく勇気がいることだわ! それなのに、他人の事情をよく知りもしないくせにと思わないでもないけど、敢えて言い辛いこと言ってくれているのよ!」
えげつない礼のフォローの連続に
「えっ……、あの、それは、その。ごめん。俺、礼ちゃんの事情をよく知りもしないで色々言って」
知己は、ただ謝るしかなかった。
「ううん……」
礼は首を横に振る。金鎖のネックレスも合わせてキラキラと揺れた。
「知己お兄さんのことはいい人だとは分かっている。
けど、今は無理。辛すぎて、耳が知己お兄さんの声を拒否している」
片手を胸に当てて礼は俯いた。
9年間、本来ならば父に言うべき文句の数々を知己に吐き出してしまったことを礼は悔いていた。
「イケボなのに?」
将之のどうでもいいフォローが入った。
「知らないわよ、そんなの」
当然の礼の冷遇。
しばしの沈黙の後に、
「蟹……探そうか?」
知己が、礼の反応を伺いつつ訊いた。
「いい。そんな気分じゃない。帰りましょ」
可憐な細い指で涙を拭いながら、礼が傘を拾ってトボトボと車に向かう。
「……どうせ嘘でしたし、ね」
取り残された将之が、礼が離れたのをいいことにぼそりと呟いた。
「お前は黙れ」
今度は知己が冷遇した。
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