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「……ぅ……」
卿子は立ち上がる気力も湧かないのだろう。
座り込んだまま俯いて、涙をにじませていた。生理現象でした瞬きのはずみで、たまった涙がぽろりと零れた。
赤くなった頬をそっと抑えると、そこからじわりと広がる痛みが、殴られたという事実をより感じさせた。
「あんたが悪いんだからな。見ろ、俺の顔。血の味がする。口の中も切っちゃったかも」
卿子が仰ぐように見上げると、俊也が恩着せがましく顔をつきだしていた。
顎の所だろうか。あまりよくは分からないが、当たったのだ。言われてみたら赤くなっているような気がする。口の中の話は、多分、嘘だろう。血を吐き出す仕草もなければ、本人が気にして中を確認することもない。
だが、卿子に大人として学校職員として生徒に暴力振るってしまった『加害者』の気持ちを植え付けるのには、十分だった。
「あ……、あの、大丈夫?」
たどたどしく俊也のケガを気遣いながら、またもや意図せず涙がポロポロとこぼれた。
「大丈夫じゃねえ」
「でも……、だって、それは、あなたが腕を強く引っ張るから」
「それは、あんたが俺達見て逃げ出したからだろ?」
「だって、あんな所に人がいると思わなかったし」
「何? 居ちゃ悪い? あんた、俺達があそこでなんか悪いことしているとでも思ったんじゃないの?」
「そう……じゃない、けど……」
「けど? 何だよ?」
卿子の『けど』は失言だった。
「……」
黙るということは、肯定したも同然。
事実、そう思ったのだ。だから俊也に突っ込まれ、急にごまかせる言葉を見つけられずにいた。
「ひっでーな、傷つく。俺達、あそこでただ喋っていただけなのに。なんか悪いことでもしてたみたいな扱いじゃねえか」
「ほーんと、傷つく!」
章も、そこで加勢した。
二階に居て、関心なさそうな素振りをしつつも、しっかりと二人のやり取りに注意を払っていた。
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