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過ぎ去った夏 1
「ただいまー」
誰も居ない部屋に向かって挨拶し、知己は玄関をくぐった。
「相変わらず、『儀式』しますねー」
将之が後ろから続いて入りながら、聞こえるように呟く。
「うるさいな。長年沁みついた実家暮らしの習性なんだから仕方ないだろ。『挨拶はきちんとしろ』って親が小さい頃からうるさかったんだよ。車のシートベルトと同じで、しない方が気持ち悪いんだよ」
礼の居なくなった家。
なんだか、いつもより余計に広さを感じ、唐突に寂しさがこみ上げてきた。
空港からの帰り、知己の隣の馬鹿兄貴は車に乗り込むなり
「さ、どこのホテルにシケこみましょうか。空港周辺ってホテル多いですよね? 別れを惜しむ恋人の為、需要多いんでしょうね」
真面目な顔してブツブツ言いながら携帯で検索をかけた。
―――――シケこむ。
先ほど礼も言っていた。
(お前が、感じ悪い日本語の仕入先か!?)
助手席に座った知己は目を剥いた。
「おい、まさか礼ちゃんに言われたこと実行する気か?!」
「別に。ホテルじゃなくても、僕は、車の中でもいいですよ」
「そういう問題じゃない。俺は嫌だ!」
「なぜ?」
「さっきあれだけ礼ちゃんに色々言われた後で、よくそんな気になるな! 礼ちゃんと別れたばっかりだぞ。なんか……礼ちゃんに見られているような感じがして嫌だ」
「何、非現実的なこと言ってるんです? そんなこと言ったら、家でも同じこと言い出しません?」
「う」
痛いとこ突かれた。
「僕、聞いちゃいましたからね。礼ちゃんに、僕と『朝一で会って夜ラスに会って幸せ』って言ったらしいですね」
にっこり笑って将之は、ホテルの候補がいくつも上がった携帯の検索画面を見せた。
むかつくので、知己は取り上げて電源を切る。
将之は特に気にせず
「僕も、ほぼ同じですよ」
と言いながら、愛車メルセデスのエンジンをかける。
「ほぼって……なんだよ?」
妙に「ほぼ」という言葉にカチンときて、知己が尋ねた。
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