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「人間は半径30m以内で恋をする生き物だって誰かが言ってたけど、まさか、よりにもよって先生に恋するなんて……」
確かに八旗高校に女子生徒は居ない。知己が女装して、うっかり半径30mに入ってしまったが故の惨劇だ。
「俊ちゃんの気持ちも分からないでもないけど、ね」
今度は章が、じぃっと知己を見つめた。
「このワンピ、マジ凄いね。着るだけでちゃんとグラマーな女性に見えちゃう」
ウィッグも付けていないし、メイクもしていない。だが、すっぴんでもかなり惑わされる。
「さ、練習を始めるよ! 『アメンボ赤いなあいうえお!』 はい、繰り返して」
「なんでだ? アメンボは黒い」
「今、そんな生物学的知識要らない。さあ、言って! 『アメンボ赤いなあいうえお!』」
「うぅ。『アメンボ赤いなあいうえお』」
章の勢いに呑まれて、やむなく復唱した。
「よくできました! 次は『丁重にお断りします!』だよ。 余計なこと一切言わずにスパッと斬っちゃって。さあ!」
章が鬼コーチと化した。
隣の理科室では、敦も鬼コーチになっている。
防音効果のない理科室の壁から、俊也の血を吐きそうな勢いの「好きです! 付き合ってください」が聞こえた。言う度に敦が「そんなんで気持ちが通じるか! 気合入れろ、気合ー!」と喝を入れていた。
「あははー。敦ちゃんったら、気合入れたって気持ち通じないのにね」
聞こえた章がふき出した。
(マジで何なんだ、この不毛な告白デキレースは)
これですこぶる真剣なのだから、知己には意味が分からない。
数度の練習を経て
「ま、こんなもんかな。そろそろ本番行ってみようー!」
映画監督みたいなノリで章が準備室と理科室を繋ぐドアに手をかけた。
「待て。その前に、忘れないよう約束の写真を撮っておこう」
記憶にはなかったが、どうも女装姿の写真を将之に送らないと教育委員会の将之の部下が八旗高校に乗り込んでくるらしい。これ以上のややこしいことは避けたい。知己は、改めて写真を撮ることを約束した。
たやすく「この後、絶対にいいことだけは起きない」と予感できる。平和な今のうちに写真を撮っておくべきだ。
「うっわ、ナルシスト。僕が撮ってあげようか?」
自撮りする知己に、章が半笑いで言う。
だが、まだナルシストと言われた方がいい気がする。
知己は
「いや、そんないいもんじゃない」
と嫌そうに、手短に答えた。
撮り終えた後、やっと俊也の方もOKが出たらしい。敦が
「いいぞー、章」
と声をかけた。
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