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ことの起こりは7月の第三土曜日。
恒例の月一逢瀬の日である。
待ち合わせのファミレスで知己は壮絶に顔色の悪い家永に会った。
「なんだ? いつにも増して具合悪そうだな」
心配になって聞くと
「そうだな……。実は、平野。お前に頼みがある」
「え? なんだ、急に」
一方的で会話が繋がらない。
これに、長い付き合いの家永がよほど切羽詰まっているのだろうと感じた。
「慶秀大の海浜研究所を覚えているか?」
「そりゃあ、忘れないよ。学生の頃は毎年恒例の夏の行事だったから……」
家永が理科学研究に勤める慶秀大学は、とある海辺に「海浜研究所」なる施設を擁していた。
そこは最新鋭の研究・実験機器を備えた2階建ての鉄筋コンクリートの施設である。宿泊施設も兼ね、時間を必要とする実験を集中して行える場所でもあった。
海には徒歩10分程度の位置にあり、研究所には閑静な田舎ならではの広大な土地を利用したテニスコートや体育館もあり、学生たちは部活動の合宿で、大学職員は保養所として、大学関係者なら誰でも利用できる。
「まだやってんのか? 『お泊り実験』」
懐かしそうに知己が言った。
お泊り実験とは、『お泊り保育』を文字っての実験のことだ。
家永達理科学所属の教授たちがゼミ生・研究生を連れて、実験に赴く。
実験の合間に海に行ったり、夜は花火だのキャンプだのそれっぽい活動をして楽しめるのは魅力だったが、それ以外はひたすら実験に付き合っていた。学生たちに支給されるのは交通費のみ。自分達の研究のためと割り切るしかない。研究の名のもと、ほぼボランティア活動で、学生は教授たちの実験に付き合わされていたのが実態だ。
もちろん知己も学生時代には数度経験している。
知己にとっては研究といえど、話が合う仲間と共になんだかんだと楽しい時間を過ごしたいい思い出のある場所だ。
「やっている。そして、それが問題だ」
「何?」
「今年の俺が使える日が8月10日から17日になった」
「わー。めっちゃお盆」
「今年は帰省する学生だらけで、実験に付き合ってくれる奴がいない」
「そりゃあ……日にちがまずかったなー」
海浜研究所を使える日にちは、申込制。
完全抽選制である。
家永は、どうやらそれに外れたらしい。
「俺はくじ運のないダメな男なんだ……」
ため息交じりに科学者の家永が、そんな非科学的なことを言い出した。
(これは、かなりよくない傾向だな)
知己は親友の状態を憂いた。
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