慶秀大学海浜研究所 5

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 その頃、家永は一人実験室で時間を持て余していた。  実験のほとんどが昼間にできるもので、夜はメインの実験だけだった。  次のチェックの時間・21時までにはまだ時間がある。  だからといって無人にするのは、万が一実験機が止まるなどの不慮の出来事が起こった時に対応できない。ただ、それが起こる確率は、ほぼないに等しい。 (結構スムーズに行っているよな。大体予定の7割くらいは済んだかな?)  予定を書き出していたホワイトボードの前に立った。  家永が一番最初に書いた実験のメイン計画に、メモ代わりに門脇、知己、家永がペンの色を変えて書きこみ、実験の進捗・詳細が分かるようにしていた。 (平野の字……、懐かしいな。学生時代と変わらない。心の余裕があるときは綺麗だが、急ぎの時はクソメタに汚くって解読に時間がかかる。逆にああ見えて門脇君はいつでも読みやすいすっきりとした字を書く)  二日目も終了し、ホワイトボードのごちゃごちゃ感が否めない。   家永は終わった分を消そうかと、ホワイトボードイレーサーを手に取った。 「……」  消さずに家永は、イレーサーを棚に置いた。  念の為、もう少しメモを置いておこうと思ったわけではない。  ただ消せなかったのだ。 (平野の字……)  そっと触れると、家永の指が触れた部分だけわずかに消えた。  それだけで、心が締め付けられるような感覚がした。 (……未練なんかないと思っていたんだが)  今回のお泊り実験では、門脇はかなり重要な戦力だ。むしろ、昨今のやる気のないゼミ生10人よりも、門脇一人の方がよほど役に立つ。ぜひにも連れて行きたかった。  門脇から知己を条件に出された時には、「親友を餌に門脇を使う」のはどうかと思うよりも「いや、平野も来てくれたら戦力になる。ダブルで美味しい」の計算があっさり勝った。  さっきだってそうだ。  昼間、実験に縛り付けているのでとても無理だが、夜ならと海に行きたがっている門脇・菊池。そこに、知己を付ける必要があったかどうか。  夜は手が足りているというのもあるが、心のどこかで門脇のモチベーション維持につながるのではという打算もあったかもしれない。 (平野をそんな扱いできるほどになったと思っていたのだが)  まさか知己の文字が消せないという理由で、ホワイトボードをそのままにしておこうだなんて思う自分がいるとは思わなかった。
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