慶秀大学海浜研究所 8

8/9
前へ
/778ページ
次へ
「俺がしでかしたことだけど、先生が俺のことを覚えていないのは嫌だな」  家永の横で門脇が呟く。 「要はタンスの引き出しだろ? 強引に開けちまおうぜ」  そう言って、右肩をグルグルと回してウォーミングアップを始めた。 「おい。お前、どんな方法で強引に記憶の引き出しを開けさせようとしてんだ?」  と家永が聞くと 「多少気が引けるが、ぶん殴る」  静かに門脇が答えた。 「やめたげて! そんな死人に鞭打つようなマネ!」  菊池が即反応し、門脇を掴んで取り押さえようとした。  さすが普段、門脇に殴られ続けているだけはある。 「記憶喪失ってよくぶん殴って治すじゃん。あれと一緒。俺だって、先生をぶん殴るのは嫌だけど、俺が分からないのはもっと嫌だからな」  会話の内容を聞いて、知己が青ざめた。 「安心しろ、先生。ちゃんと手加減するから、俺を思い出してくれ」 「門脇、やめろー!」  菊池が必死に取り押さえる。が、あまり意味を成していない。門脇に引きずられている。 (え? 俺、今からこいつにぶん殴られるの?)  確かに知己は門脇を先に殴ったが、それは門脇が寝ている隙にキスなどしたからだ。   「家永、こいつらマジで何なんだ!」  掛布団を盾にして、知己が叫ぶと 「慌てるな、平野」  家永は、さりげなく知己を背に隠して門脇の前に立ちはだかった。 (どう見ても、王子様っぽいのは家永先生の方だよなぁ)  菊池は思った。 「昭和の家電じゃあるまいし、殴って記憶を取り戻すという方法は危険だ。どこで何が引っかかっているのか分からない。脳はデリケートだからな。強引に思い出させても、次に平野にどんな影響が出るか分からないんだぞ」 「じゃあ、どうすんだよ」  苛立たし気に門脇が言うと 「少しずつ思い出して、いずれは完全に記憶を取り戻す。それが一番いいと思う」 「せ、『急いては事を仕損じる』。もしくは『急がば回れ』ですね」  門脇の腰にへばりついているが、体力的に完全に負けてどうにも止められない菊池が諺を連発した。 「その通りだ、菊池君」  家永が頷くと 「……ふんっ」  鼻息荒く、門脇は渋々ながらも右こぶしを下げた。 「なんかよく分からないけど、諺君、ありがとう」  知己の中で菊池は諺君になっていた。
/778ページ

最初のコメントを投稿しよう!

242人が本棚に入れています
本棚に追加