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「俺がしでかしたことだけど、先生が俺のことを覚えていないのは嫌だな」
家永の横で門脇が呟く。
「要はタンスの引き出しだろ? 強引に開けちまおうぜ」
そう言って、右肩をグルグルと回してウォーミングアップを始めた。
「おい。お前、どんな方法で強引に記憶の引き出しを開けさせようとしてんだ?」
と家永が聞くと
「多少気が引けるが、ぶん殴る」
静かに門脇が答えた。
「やめたげて! そんな死人に鞭打つようなマネ!」
菊池が即反応し、門脇を掴んで取り押さえようとした。
さすが普段、門脇に殴られ続けているだけはある。
「記憶喪失ってよくぶん殴って治すじゃん。あれと一緒。俺だって、先生をぶん殴るのは嫌だけど、俺が分からないのはもっと嫌だからな」
会話の内容を聞いて、知己が青ざめた。
「安心しろ、先生。ちゃんと手加減するから、俺を思い出してくれ」
「門脇、やめろー!」
菊池が必死に取り押さえる。が、あまり意味を成していない。門脇に引きずられている。
(え? 俺、今からこいつにぶん殴られるの?)
確かに知己は門脇を先に殴ったが、それは門脇が寝ている隙にキスなどしたからだ。
「家永、こいつらマジで何なんだ!」
掛布団を盾にして、知己が叫ぶと
「慌てるな、平野」
家永は、さりげなく知己を背に隠して門脇の前に立ちはだかった。
(どう見ても、王子様っぽいのは家永先生の方だよなぁ)
菊池は思った。
「昭和の家電じゃあるまいし、殴って記憶を取り戻すという方法は危険だ。どこで何が引っかかっているのか分からない。脳はデリケートだからな。強引に思い出させても、次に平野にどんな影響が出るか分からないんだぞ」
「じゃあ、どうすんだよ」
苛立たし気に門脇が言うと
「少しずつ思い出して、いずれは完全に記憶を取り戻す。それが一番いいと思う」
「せ、『急いては事を仕損じる』。もしくは『急がば回れ』ですね」
門脇の腰にへばりついているが、体力的に完全に負けてどうにも止められない菊池が諺を連発した。
「その通りだ、菊池君」
家永が頷くと
「……ふんっ」
鼻息荒く、門脇は渋々ながらも右こぶしを下げた。
「なんかよく分からないけど、諺君、ありがとう」
知己の中で菊池は諺君になっていた。
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