慶秀大学海浜研究所 9

1/9
前へ
/778ページ
次へ

慶秀大学海浜研究所 9

 昼食後に一つ実験を終えてから、家永は再び病室を訪れた。 「平野ー。どんな感じだ?」  スライド式のドアを開けて、壁をノックすると 「ノックの意味ねえな」  とツッコめる程度には元気になっていた。  ベッドを椅子替わりにして、知己はストレッチをしていた。 「退屈だ」 「体は健康だもんな」  家永の背後をそっと確認し、知己はほっとした表情だ。 「家永だけか?」 「あいつら連れてきたら、お前が怯えるだろ?」 「別に……怯えてなんか……」  赤くなってそっぽを向く。  10年の記憶をなくした所為か、行動が若いというか幼いというか。 (そっか。10歳若いと門脇君と同じ年だ)  10も年下、しかもかつての教え子に凄まれるのと、同年代に凄まれるのとでは意味が違うだろう。  知己には門脇のようなタイプの友人は居ないから、本当に怖かったのかもしれない。 「頭痛は収まったか?」 「今は」 「今は?」 「さっき……何かを思い出そうとしたらすごく痛くなった」 「無理をするな。ゆっくりでいい。その為の入院だ」 「うん……」  頷く割には、表情が暗い。 「思い出したいか?」 「そりゃあ……」  と、何かを言いかけて知己は変な顔をした。 「なんだ?」  家永が聞くと 「……ん……、ちょっと気付いたことがあって。あのさ、変なこと言うようだけど……」  と言う割には、知己はそのまま黙りこくってしまった。 「だから、何なんだ。俺にも言えないことなのか?」  再度家永が言うと 「だって……変に思われる」  そう言って、知己はベッドの上に戻る。布団をめくって、そこに胡坐をかいた。 「お前が言うことを変に思う訳がない」 「うん……」 「ここには俺しかいない。安心して喋れよ」 「ん」 「それに、それが記憶戻るきっかけになるかもしれない」 「うん」  返事はするが、いまいち煮え切らない。 (一体、何だ?)  さっぱり意味が分からない家永に知己は 「じゃあ、言うけど……。あ、その前にそこのドア閉めて」  家永があけっぱなしのスライドドアを指さした。 (ますます、意味が分からない) 「鍵もするのか?」 「念のため」  言われるままに家永は鍵のレバーを下げて、ベッド脇に戻ってきた。  パイプ椅子を出して座ると 「言われた通りにしたぞ」  知己のベッドに頬杖をついて、待ちの姿勢だ。 「準備は整った。さあ、言え」と言いたげな強迫に似た視線。  これには知己も観念し、今度こそ重たい口を開いた。 「あのな……男同士のキスって……」 (ああ、門脇君の目覚めのキスのことか)  家永はすぐに察した。
/778ページ

最初のコメントを投稿しよう!

242人が本棚に入れています
本棚に追加