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「……人の気も知らないで……!」
声を絞り出すかのように侵入者が言った。
「え?」
知己が不思議そうな声を上げると、
「……先輩の入院に驚いて、予定切り上げて急いで戻ってきたというのに……。
『何だ』はこっちのセリフですよ!」
男からは意味不明な言葉が続くだけだった。
「……」
しばらく待っても、知己からの説明はない。
無言で立ち尽くす知己に業を煮やした男は、目の前の知己を押しのけて
「最初っから、それが目的だったんですね」
と、未だ立てないでいる家永の襟首を掴んで強引に立たせた。
「やめろ! 家永に何をする!?」
慌てて知己が止めるが、それを家永が緩く片手を上げて「大丈夫」の合図と共に制した。
「……、違……う……」
切れた口でなんとか答える家永だったが、男は問答無用とばかりに、再度拳が振り上げられた。
「やめろ……っ!」
追撃を始めそうな男の腕を、知己は両腕で抱きかかえるようにして掴んだ。
(何なんだよ、もう!)
知己の知る限り、家永は恨みを買うような人物ではなかった。
聡明で見た目は優しげだから、誰からも頼られていた。科学的に計算度外視。現実的で忖度なく言うので辛辣に聞こえることもあったが、的を射た意見は貴重で、最終的には感謝されている。
だから人付き合いの苦手な知己でさえ、長く付き合えた。家永だけは誰よりも信頼していた。
(こんな所にまで追っかけてきて殴るなんて……これは相当……!)
どんな恨みを持たれているのかは分からないが、知己のとる行動は一つだった。
「出てってくれ!」
知己は夢中で叫んでいた。
「はあ?!」
瞬間、男が家永を離して、知己の方を向いた。突然、支えを失った家永はふらついて、ぺたりと床に座り込む。
「うわぁ、家永」
知己は心配したが、痛む口を無意識に触りながらそれでもゆっくりと息を吐く家永を見て安心した。
男は
「それ、最愛の妹との休暇を泣く泣く切り上げて、マサチューセッツから最速15時間かけて帰ってきた人間に言う言葉ですか?」
と言う。
「しらん! あんたもあんたの都合も知らない! ここは俺の病室だ! いいから出てってくれ!」
「平野、待て……」
だいぶ意識がはっきりしてきたのか、家永が床に転がった眼鏡を拾い、自分の足で立った。
「家永……、大丈夫か?」
気遣う知己に、男は「ちっ」と舌打ちすると忌々しげに拳を下ろす。
それで知己も警戒しつつ男から離れた。
「……一体、僕は何を見せられているんでしょうか」
睨み付けられた瞳には、いまだ業火が宿っている。
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