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担当看護士が不在中に先ほどの騒ぎ。何かが倒れる音まで聞こえた。いよいよ見過ごせない。
「ちょっと、誰か注意しに行きなさいよ」
とナース同士で押し付け合っていた。
嫌事を言うのは、誰もしたくない。
しかも見舞客さえ来なければ、知己は礼儀正しい患者なのだ。
どうにも決まらずにナースステーションでじゃんけん大会予選第1回が始まった所に、例の見舞客二人が病室から出てきた。
さっきまで301号室の悪口を垂れ流していた看護師達は思いっきり蔑みの視線を向けたが、次の瞬間には思わずその口を閉ざした。
それまでは静かだったので、多分、後から来た背の高い男が騒動の原因だろう。
原因の人物は、足早に駆け抜けていったので気付かなかったが、よく見るとかなりの美形だ。ここまで来るのにも随分慌てていたのか、風になびいた栗色の髪は好き放題な方向を向いていた。柔和な見た目に不似合いなそれさえも、ワイルドな雰囲気を醸し出し、彼の魅力を一層際立たせていた。
髪を手で梳いて整えつつナースステーションの横を通る男は、痛いくらいに突き刺さる鋭利な視線に気付いて軽く会釈した。
その途端、視線は痛いどころか春の日差しのような暖かさを帯びた。
「……得だな、その容姿」
将之を観察していた家永が、誰もいない談話室の奥のテーブルを選んで座った。
「容姿で先輩が選んでくれたら、こんなに苦労しないんですが」
容姿を自覚した発言に
「否定しろ」
と家永は毒づいた。
口を動かすと痛いのだろう。家永が口元を押さえた。
「僕が平和的人間だったことに感謝してもらいたいですね」
家永に倣って、将之も座った。
「矛盾しているな。俺は先ほど君に殴られたんだが」
家永はこめかみ辺りを両手で押さえ、数度口を開閉させて、他に痛むところはないか確認していた。
「意外に口の中って簡単に出血するんですよ。これが門脇君なら、一発では済みませんでしたね。相手が僕で良かったと思いますよ」
「……確かに。俺はまだ見たことはないが、話を聞くと門脇君は好戦的だ」
二人は門脇と腕力的に対峙したことはないので知らないだけだが、門脇の殺傷能力は高い。大抵、一発で相手を鎮めてきている。一発で済まないのではなく、一発で済むのである。
知己が門脇を見ると怯えるので、幸いなことに、まだ門脇は家永と知己の関係を知らない。
「さて」
一呼吸おいて、将之が言った。
「僕は家永さんと仲良くおしゃべりする気なんてないのですが」
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