中位将之という人物 5

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 建物の中では受付や診療が始まったらしく、にわかに活気づいていた。  庭のベンチは建物の陰になっている。よほど見ようと思わない限り、誰も気に留めない存在だった。リハビリ用散歩コースとは知っていたが普段はほとんど使われないし、このベンチに至っては建物の死角に当たる。入院していた知己さえも知らなかったぐらいだ。  とはいえ、こんな屋外で誰に見られても不思議ではない状況。  果たして、そんな冷静な判断ができたかどうかは怪しい。  胸を押さえ付けられる苦しさから逃れたくて、知己はぐぅっと体ごと前に押し返した。  すると、あんなにも強引に押さえつけていた将之があっけなく離れた。 「……」  お互いに、一旦大きく息を吐く。  朝っぱらからの蛮行に及んだ男は、知己と距離を取り、意外にもベンチの端で俯き気味におとなしく座っていた。 「中位さん……、あんた……」  さっきまで執拗に離さなかったくせに、一体、これは何なのか。  理解に苦しむ。 「……一体、何のつもりだ?」  知己が低い声で訊くと 「さあ?」  と将之は答えた。  先ほどまで「記憶取り戻すのを協力する」だの「家永とどんなことをしたのか」と好き勝手に散々言っていた男だ。 (ふざけやがって……! 惚けるつもりか?)  と思ったが、どうやら本心のようだ。  将之は、少し言葉を探すような素振りの後 「もしかしたら、お別れのキス……なのかなぁ」  やっと答えが見つかったように、ぼそりと言った。  将之も、自分のした理由が分かってなかったようだ。 「え……あ、アメリカ式か?」  アメリカから帰ってきたばかりだと言っていたが。 「なんでそうなるんですか? 行ってたの、たかが一カ月くらいですよ」 「え、そうなんだ。てっきり向こうでの生活が長かった所為かと思った」 (挨拶で、あんなキスなどするものか)  忌々しく将之は思ったが、努めて冷静に答えた。 「相変わらずズレてるなぁ。そんなので家永さんに愛想尽かされないかな?」  そして、我ながら感情をおくびにも出さずに話ができるものだと感心する。 「……ほっとけ」  将之に毒づいて見せる知己に、先ほどの恐れはない。 「まあ、あの人に限ってそれはないでしょうけど」  さっきとは真逆に、将之が芝生の方を見つめて、知己が将之を一心に見つめていた。
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