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「待ちませんよ。僕はもう帰るんです」
「何か、そこまで……出かかってるんだ」
「何かって……?」
「それがはっきり分からないから困っている」
「お話になりませんね」
将之は知己に向き直った。
すると、ベンチに座る知己を見下ろす形になった。
冷ややかな視線に、先ほどの涙はもう乾いている。
「言っておきますが、僕はもうキスもその先も協力する気は失せてます。そのお相手なら家永さんにでも頼んでください。でないと……」
「でないと?」
「一か月前にOKしちゃった自分自身を恨んでしまいそうです」
一カ月……。
「それ……、だ」
知己がぼそりと呟いた。
「あんた、さっき言ってたな。俺が一カ月ほったらかされたって」
「え?」
「お泊り実験の合宿は長くても一週間しか施設は借りられないはず。だのに……なんで俺が家永に一カ月も干されてたって、あんたが知ってんだ?
あ! それにあんたがアメリカに行ってたのって一カ月だったよな? 何か関係あるのか? 一カ月前にあんたがOKしたことって何だ?」
「え、えー……と……それ、言っていいのかな?」
知己の勢いに少しばかり気圧されながら、将之は
(これって多分、家永さんの言う『頭痛案件』だよな)
と思った。
(つくづく巧いよな、家永さん。こうして僕に本当のことを喋らせないなんて)
もうこれで会わないつもりだ。
いっそのこと洗いざらい喋ってしまえればいいのだが、将之にはそれができない。
(僕としたことが)
知己が苦しむのを分かっていて、言うことなどできない。
(家永さんのことを奥手だのヘタレだの散々言ってたけど、僕も人のことを言えないな)
「僕は……」
と将之が一度言いかけて、少しまごついた。
知己が固唾を飲んで見守っていると
「自分で思っているよりも、あなたのことが大事みたいですね」
やはりどこか他人事みたいに答える。
「え?」
先ほどの質問の答えになっていない。
「酷いな。人がすっぱり諦めようと思った時に、こんなことを気付かせるなんて」
「え? え?」
将之の言っている意味が分からずに、知己は戸惑った。
「さようなら、です」
あっさりと将之は知己に別れを告げた。
「どんな形にしろ、あなたに負荷をかけられないんで。答えは、どうぞご自分で見つけてください」
将之は踵を返すと、そのまままっすぐ庭を抜け、表のバス通りに出て行ってしまった。
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