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「来た時よりも美しく」
廊下に大きな貼り紙がある。
使った場所は自分達で掃除して帰るのが、慶州大学海浜研究所の規則。教官だろうと学生だろうと、それは変わらない。
守れぬものは、永久にこの施設の利用権を失う。
宿泊で使った部屋は、各々で済ませた。
もちろん知己の部屋は、彼が入院した翌日に荷物を全て病院に運びこんで空にしている。知己の部屋は使ってなかったのか? というくらい綺麗だったので、掃除機をかける程度であっけなく終わった。
(あいつ、昔から片付け魔だったからな)
学生の頃から、暇があると何かと片付け始めていたのを思い出した。
ついでに、病院にキャリーバッグを届けた日に
「俺、10年後はこんな下着履いているのか?」
中身の下着が黒ばかり。それを見て知己が目を白黒させていたのも思い出し、つい笑ってしまった。
「何、思い出し笑いしてんだよ。きm(※)……」
一緒に実験室の片付けをしていた門脇が言う。
持ってきた食材を一週間でほぼ0にする手腕を見せた菊池は、食堂の掃除を担当していた。
「そんなにもうすぐ知己先生に会えるのが嬉しいのかよ?
けっ。家永先生だけいいよな。知己先生に懐かれていて……」
と意地悪く言われ、ついポロリと
「いや、平野が自分の下着を見てびっくりしてたのを思い出してだな」
と答えてしまった。
(いかん。……どうやら、俺も浮かれているらしい)
うっかり口を滑らしたことを諫めたが、門脇は意外そうに
「知己先生が黒い下着を愛用ってのは、10年前は違ったのか?」
と言う。
どこか(残念ながら、それは俺も知っているぜ)と言いたげな口ぶりに
「………………………君がそういうことを知っているのが、遺憾に耐えない」
と家永は眉を寄せた。
「へへん。パンイチで抱き合って寝た仲だからな」
自慢げに語る門脇の向こうに、電波時計がかかっている。
9時20分。
(後は、戸締りして機械警備に切り替えるだけ。予定の10時には間に合うな)
実験機の主電源を落とすと、家永の胸ポケットの携帯がヴーンとバイブレーションで着信を知らせた。
「……平野……」
液晶画面の『平野知己』の文字に、家永はこれからされる会話の内容の全てを悟ったような気がした。
(※)最近の若者は「キモイ」と言わずに「キm」とちょっと省略して心持控えめに蔑むと聞いたので。蔑むことに控えめがあるのかどうか知らんけど・・・です。
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