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自由登校なのに 6
「あ、失礼しました!」
イライラとした気持ちのまま理科室から渡り廊下を突っ切ってきた知己は、卿子が来客中と気付かずに事務室に飛び込んでしまった。
「きゃー! ラノさん!」
真っ黄色い声を上げたのは、事務職員の坪根卿子ではない。
「……あ、えーっと……」
ボブヘアに眼鏡、喪服を思わせる黒いパンツスーツの女性は、前田千寿である。どこか見覚えあるが、年に数回会うだけの教育委員会の人間の顔を知己は覚えていなかった。
突然の知己の入室に、これまで委員会からの事務連絡をしていた前田の頭のネジがいくつか弾け飛び
「ラッキー! ハッピー! うっれぴー!」
迂闊にも素の言語で叫んだ。
突如、豹変した前田の様子に卿子と知己の驚きの視線が突き刺さる。
すると前田は、眼鏡の真ん中を中指でクイっと押し上げ、「んんっ」と咳ばらいをした後に
「……私が、何か?」
と、すまして答えた。
当然、前田に用はない。
「すみません、急いでいたので来客中とは知らずに」
知己は謝ると「また出直します」と出て行こうとした。
「やだ、その必要はありませんわ。ラノ先生」
(……ラノ先生?)
「私の用向きは終わりましてよ。後は、こちらの配布物をチェックしたら帰ります。授業もあることだし、先生方は隙間時間縫っての来室。よほどお急ぎでしょう? 私に構わず御用をどうぞ」
ツンツンと事務的に話を進めた。
(配布物チェックと言いつつ、ラノさんと少しでも同じ空気を吸いたい私! なんていじらしい! 我ながら、めちゃきゅんな百合心だわー)
自己陶酔しつつ、持ってきた配布物をチェックする演技をする前田は、しっかりと知己達の話に耳を傾けていた。
「どうなさいました? 平野先生」
「卿……いえ、坪根先生にお願いが」
少しトーンを落として、知己が言う。
「先生が私にお願いって、珍しいですね。何でしょう?」
(やだ、女性と話すときに緊張するのかしら。ラノさん、事務職員さんに照れちゃってかーわうぃー!)
「どうしても負けられないことになりまして……その、あの……」
なんとも言いづらい。
(なんで俺は生徒とまた女装のミスコンをせねばならないのだ?)
しかし卿子は急かすこともなく、ただ知己の言葉を美しい瞳で見つめて待っている。
それで知己は意を決し、部外者がいるので更に声を潜め、
「実は……」
と卿子の耳に唇を寄せた。
(んまぁ、羨ましい! 私にも耳打ちして欲しーのほしーのほしの源!)
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