如月十日のこと 3

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「くそぉっ! 『きれかわ』の声援は、俺にこそ……いや俺にだけ相応しい言葉なのに……。絶対に、俺の方が綺麗で可愛いはずなのにぃ……悪徳教師めぇ……。理科知識しかない無芸のくせに、まだあんな隠し玉を持っていたかぁ」  舞台袖で既に着替え終わっている敦が、般若の顔で怨嗟の言葉をブツブツと漏らす。  見ると、長髪ウィッグから一転、内巻ボブヘアになっている。 「あれ? 敦ちゃん。いつの間に着替えたの?」  知己の演武と俊也の声援に突っ込み入れてたほんのわずかな時間に、敦の着替えは終わっていた。 (あちゃー。着替え、見損ねた……)  と落胆しているのを1mmも匂わせずに章が言うと、敦は 「さっきの衣装だが、スカートがやたらと長かっただろう?」  と答えた。 「う、うん? ふんわり可愛いワンピースだったよね」  何の意味があるのだろうと章が思っていると 「あの下に、この服を着ていたんだ」  二年前と同じ手法で、さらりと着替えていたネタバラシをした。  和装の特権でダイナミックな演武にひらめく袖や袴の裾、そして日本刀の美しい動きで魅了された会場は、いまだ興奮冷めやらず、知己がランウェイから戻っても 「きれっ!」 「ラノ!」 「きれっ!」 「ラノ!」  の称賛の声はやまない。  それがますます敦を苛立たせていた。  知己の方は、どうしても「斬れっ!(ひ)ラノ!」に聞こえて「物騒だよなぁ」と呟いていた。おそらく本人は褒められているとは分かっていない。 「お疲れ様です、知己」  舞台から戻ってきた知己にクロードが声をかけ、同時に 「Ms.坪根。どう思います?」  と卿子に見解を求めた。 「最初、神々しいラノさん登場で観客の心を鷲掴みしたかのように思えました。が、梅木君のゴスロリ風ピンクナースちゃんの可愛さと仕草のあざとさで、大きく票をもって行かれたと思います」 「日本人は、大体ロリコンですからね」  半分カナダ人のクロードが言うと、知己と同じ年の卿子が「ぅっ!」と、一瞬声を詰まらせた。  気を取り直して 「……でも、この和装は観ている人たちの度肝を抜いたでしょうね。二着目の短時間での着替えに、こんな大胆な衣装チェンジ。誰もができるはずないと思ってたでしょう。  ましてや、平野先生の唯一にして渾身の演武」 (唯一……)  卿子に悪意は全くと言っていいほど、ない。それは十分分かっているが、分かっていても辛いものは辛い。 「一度はゴスロリナースちゃんにやられたかと思われた会場ですが、このキレキレコール。今はこちらに軍配が上がっていると思われます……って、ああー!」  冷静に状況を分析していた卿子が、突然悲鳴を上げた。
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