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意地悪ハーブティー~卒倒ショコラと黒焦げハーブ~
「こんにちは。来てあげたわよ……っ」
カランという小気味よいベルの調べと共に、今日も彼女はやってきた。
けれど今日の表情は、いつも以上に複雑でなかなか読み解くことが難しい。
単純に僕の好きなハーブの匂いを嫌っているという表情ではなかった。
何か深刻な問題でも起きてしまったのだろうか。
「こんにちは。どうしたの? 今日は随分と元気がないね」
「そう……見える?」
「うん。僕の瞳にはね。こう、しんなりした可憐な花が映ってる」
「……。そういう遠回しな表現はいいのよ」
「じゃあ、僕の好きな人が哀しそうにしてる、かな」
「……っ、それは直球すぎるのよ!」
ぴしゃりと鋭い言葉。それは一瞬のことで、すぐにまた彼女はしんなりと項垂れてしまう。
そんなクルクルと変化する彼女の表情が愛らしくて、僕はついクスクスと笑ってしまう。
「……むぅ。何が、可笑しいのよ」
「なぁんでも。ただキミの顔が可愛らしくて」
「……!」
僕の言葉が恥ずかしかったのか、今度は何も言わずに黙り込んでしまう。
真っ赤なまま俯く彼女のことを、もう少し眺めていたいとも思うものの我慢する。
「それで、今日はどうしたのかな? 僕の好きなハーブティーをようやく好きになってくれた?」
「ち、違うわ! もう騙されて、飲んだりしないんだからね……!」
「それは残念。もしそうなら色々淹れてあげたんだけどなぁ」
「嫌よ。絶対、飲まないんだから」
「それなら、今日はどんな用事だい」
小首を傾げ、彼女がどんな用事なのか。それともただ逢いに来てくれたのか。
その理由を問いかける。
「……その、……た、くて……」
「うん?」
彼女の言葉はいつもと違い歯切れが悪い。そしてモゴモゴと飴玉のように、口の中で言葉を転がしている。
「……っ! な、なんでも……ないわ」
終いには、言葉が寂しそうに途切れてしまった。
「そう? そうは見えないけど?」
「い、いいのっ! いいでしょう! ――別に。私が来てあげたんだから、それだけでも喜びなさいよ!」
「うん。それは勿論嬉しいよ。キミに逢いたかったのは僕も同じだから」
あまり追求しては、彼女も困ってしまうだろう。
普段なら、もう少し追求して遊んであげたくなるけれど、思いの外僕も気持ちが弾んでいるのかも知れない。一度言葉を区切ると、彼女をティーサロンのエリアへと案内し、椅子に座らせた。
「でも、今日は来てくれて本当に嬉しいよ。キミに渡したい物があるんだ」
「渡したい物?」
「うん。実はね、キミのためにお菓子を作ってみたんだよ」
「……!」
僕の言葉に、彼女の瞳が大きく揺らぐ。
その表情を見逃さず、瞳を微かに細めると、言葉をゆっくりと紡ぎ出す。
「今日がなんの日か知ってる?」
「それは……、ば、バレンタイン……でしょ?」
「うん。祝いかたは様々だけど……男性から女性に贈り物をする日でもあるんだよ。国によっては男女関係なかったり、女性が男性に贈り物をしたりするそうだけど」
「国によってそんなに違うのね。知らなかったわ……」
「まあ、バレンタインデーにチョコレートを渡す、という特定の文化自体が珍しいほうだよね。チョコレートじゃなくて、花やクッキーのほうが主流なんだから。敢えてその文化を壊してチョコレートを選んだのには、勿論理由があるんだけど……って、それはひとまず置いといて――」
ついつい、知識欲から調べてしまった文化的背景について話し続けてしまいそうになるけれど、これ以上話してしまうとまた彼女に怒られてしまう。
仕方なく無理やり言葉を句切ると、棚から準備しておいた二つの小箱を取り出した。
「さて、本題はこちら。刮目してご覧あれ」
その言葉と同時に、二つの箱を開封すると彼女の前に並べ置く。
一つの箱にそれぞれ四粒ずつ。見栄えの異なるショコラが小綺麗に箱詰めされていた。
「これってどこかの……ううん、作ったって言ってたものね。これ、本当に両方とも手作りなの?」
「うん、そうだよ。何度も練習してね。チョコレートは温度管理が難しいから、いつも以上に手間取ったよ」
「凄い……差ね」
「でしょう?」
自分でもそう思う。でも、満足した出来だと胸を張って伝えることができる。
苦労したから、という理由だけではない。
来たるべき日のために、彼女好みのショコラを作り上げ、こうして〝選択肢〟を与えることができたのだから――。
「見た目が随分違うけど、もしかして……」
「うん。片方は、キミ好みのショコラ。もう一つは、僕好みのショコラだよ」
「貴方好み……? それってどんな味なの」
「それは……秘密。でも、食べたらキミは泣いちゃうかな」
「……っ」
その一言で、一気に彼女の警戒心が跳ね上がったのが伝わってきた。
強張った彼女の表情に内心笑いそうになるのを堪えつつ、優しく穏やかな声音で選択を迫る。
「さぁて、キミならどっちを選ぶ?」
「…………」
そのショコラは、対極に位置する見栄えだった。
一つは、岩石にも似た不格好なトリュフ。
もう一つは、転写シートを用いて花柄をプリントしたり、ハート型などを模したショコラ。
見た目を重視するか、味を重視するか。
はたまた市販の物であれば、生産国を基準とするか、特定のショコラティエを選定理由とするか。世の女性が嗜好品を選ぶときの基準は千差万別だ。
だからこそ、仕込み甲斐があったというのに――。
「……。……それなら、こっちにするわ」
彼女の判断は早く、そして意外な物だった。
「……!」
彼女が選んだのは、一見岩石のようなトリュフ。
普段から可愛い物が好きな彼女であれば、選び取るのは当然もう一つのほうだと思ったのに……。その意外性に思わず表情が強張りそうになるのを慌てて隠すと、穏やかに微笑みかけた。
「そっちだね。……じゃあ、それに合うブレンドティーを用意してあげる」
「ブレンドティーって、まさか以前みたいなギムネなんとかっていう変なのじゃないでしょうね?」
「ギムネマ・シルベスタのこと……? フフッ、安心して。今日のも特別だけど、キミのために特別にハーブを使わない物を提供してあげる。だから、少しの間待っていてね」
「意外ね。ハーブ大好き人間の貴方がそう言うなんて」
「フフッ、言ったでしょう? 今日は特別な日なんだから」
そう言い残すと、彼女の目の前に置いておいた小箱を二つとも閉じると、カウンターの奥へと持って消えた。
✿ ✿ ✿
「……失敗したなぁ」
カウンターの奥の薄暗がりの中。外にある庭園に夢中になっている彼女を遠目に見ながら、僕は小さく聞こえない声で呟いた。
「まさか、こっちを選ぶなんて思わなかった。まだまだ人間観察が足りないね」
白磁の皿に、先ほど小箱に入れていたショコラの一つを並べる。
見てくれの悪い岩石のようなショコラを選んだ理由。
華やかなショコラを選ばなかった理由。
それはいったい何故なんだろう。
敢えて訊いてみたい気もするが、それは不粋かも知れない。
どちらにせよ、答えは決まってるのだから。
「こっちを食べたら、きっと嫌いになっちゃうからね」
彼女が選んだ岩石のようなトリュフを一粒抓むと、それを口に放り込んだ。
舌の上でゆっくりと転がし押しつぶしては、その風味と口溶けを楽しむ。
「僕はこれが美味しいと思うんだけど、あまり理解を得られないんだよね……」
なにせ、こっちはカカオ九十パーセント以上を配合しているショコラで作っている。
甘みはなく、苦味、渋み、えぐみが凝縮したハイカカオショコラを食べたら、きっと彼女は卒倒してしまうだろう。
「――それはそれで見てみたいけど。今日は我慢、我慢」
彼女に見せた小箱を、戸棚に置いてある紅茶缶の奥にしまうと、別の戸棚から先ほど彼女が選んだトリュフと全く同じ見た目の物を取り出す。
「念のため、両方作っておいて良かったな」
彼女が卒倒しないよう、細やかな優しさを振り掛けたトリュフを並べ、そして彼女が選ばなかったほうのショコラも飾り付けていく。
「最後に……これで、完成」
銀のトレーにショコラと特別なブレンドティー。そして彼女の鞄から覗いていたとある小包みと共にサロンへと持って行った。
「お待たせ。持ってきたよ」
「おかえりなさい。随分遅かったわね――って、それ……!」
彼女の瞳が驚愕から大きく見開かれる。
その理由を僕は知っている。
知っていて、敢えて黙っていた。
「な、んで……それ持ってるの? 見せてないし、言ってないのに……!」
プルプルと小刻みに震えた指先がトレーに置かれた小包に向けられる。
レモン色の包装に、オレンジ色のリボンが結んである可愛らしい――彼女らしいデザインだ。
「ごめんね。さっき見えちゃったから」
だった一言。心にもない謝罪を告げて、テーブルにトレーを置く。
けれど彼女に奪われまいと小包だけはすぐさま取り上げると大切そうに掌で包み込んだ。奪い返せないと解るや否や、涙目になる彼女の姿がとても愛らしい。懇願する姿も、焦る姿も、目まぐるしく変わる表情に胸が満たされていくのを感じる。
「駄目ッ! 返して! それ失敗しちゃったから……!」
「駄ァ目。僕のために作ってくれたんでしょう? だったら、もう僕の手の中にあるから、僕の物――どうしようが、僕の勝手だよ」
「そんな、だって渡そうか迷ってたのに……っ、もう、なんで持ってるのよう……!」
慌てふためく彼女を宥めながら、小包をポケットに隠す。
「はい、もう終わり。諦めてー」
「う……ぅ、ホントにもう嫌いになるんだからね。意地悪ばっかり……」
「それは哀しいなぁ。嫌いになんてならないで? ――ほら。キミ用に特別にブレンドした紅茶だよ。飲んでご覧」
ハーブティーを苦手としながらも、足繁く通ってくれる彼女のための珠玉の品。
最高級の茶葉を取り寄せて特別にブレンドしたソレを白磁のティーカップに注ぎ、彼女の前にそっと差し出した。
「…………」
「どうしたの?」
この前仕掛けたハーブティーの悪戯がよほど効果的だったのだろう。
すぐに口付けてくれない彼女の姿に苦笑すると、僕も彼女の向かい側の席に座る。
そして、自分用に紅茶を注ぐとゆっくりとそれに口付けてから、彼女が持ってきてくれた小包を取り出すとシュルリと紐を解く。
「……これは、ハーブクッキーかな?」
見た目には触れない。ただ、鼻腔をついた微かなレモングラス。そしてローズマリーといった馴染み深い香りから推測した。
「……凄い。良く判ったわね。でもそれ、本当に食べるの? 失敗しちゃったのに……」
「勿論。『Lindenbaum』の店主として、ハーブの香りは間違えないよ。――それにキミが作ってくれたんだから、食べない理由がない」
「わ、笑わない?」
「笑わない。……絶対に」
僕の言葉に安心したのか。
ホッと安堵した表情をみせた彼女は、ようやく紅茶に口付けてくれた。
そして、普段通りの明るい表情で、今度は皿に飾り付けたショコラを指さした。
「ねっ、このショコラも食べていいのよね?」
「どうぞ。好きなだけ食べて。キミの為に作ったんだから」
「う、うん! ありがとう」
さっきとは一転した、彼女の幸せそうな表情を浮かべながら、僕は彼女が作ってくれた黒焦げクッキーの一枚を口に放り込み、そっと噛み砕いた。
ハイカカオとは別種の、豊潤な炭の香りとハーブの残滓が、微かに溶けて消えた。
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