『バレンタイン』

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『バレンタイン』

※本編より過去時空。学園時代の話です 「毒味してないから食べられない、か」 差し出した先で見た王子の気まずそうな顔を思い出して暗澹とした気持ちになる。贈り物を用意したのは初めてのことではなかった。だが、食べ物を用意したのは初めてだ。失念していた俺が悪い。 用意したのはただの気紛れだった。今日は普段世話になっている人に贈り物を用意する日なのだと聞いて、少しだけ浮かれていたのだ。今日ならば受け取ってもらえるかもしれないと思ったから。 ここのところ王子は何かに遠慮しているのか、俺が渡した物を一つも受け取ろうとしない。何か特別な日でなくたって、プレゼントは自分がしたいときにするものだ。けれど頑なに受け取ろうとしない新品の羽ペンも慣れない刺繍を施したハンカチも、受け取られないプレゼントはゴミ箱に捨てた。きっとこのチョコレートもそうなる運命にある。 「……俺も別に喜んでほしかったわけじゃないし」 人に物を渡すというのは自己満足だ。王子は優しいから、今までは受け取ったあと俺に知られることなく処分していたものもあったかもしれない。 王宮御用達の有名店から取り寄せたそれはきっと、王子からすれば馴染み深い品であったはずだ。俺も何度か口にしたことがある。毒味はしていないが、未開封の新品であることは保証できる。 捨てるくらいならいっそ自分の腹に収めてしまったほうがいいかもしれない。ぺりぺりと外装を破いていると背後から最近聞き慣れるようになった声で名前を呼ばれた。 「ルカ、そこで何をしているの?」 「……馴れ馴れしく呼ぶなよ、異世界人」 彼は最近異世界から喚ばれた人間だ。名前は……何だったか。何度か名乗っていた気がするが、どうでもいい。 何度か俺の許可なく王子に近づくなと忠告したし引っ叩いたりもしたが、それでも出逢った頃と変わりない馴れ馴れしさで俺の隣に腰掛けた。 「ねえ、その包み! もしかしてルカが用意したの?」 「隣に座るな馴れ馴れしい! あとこれはそんなんじゃない。これは、ええっと、俺のおやつだ」 「そっかぁ。あ、そのメーカーこの間王子に食べさせてもらったやつだ。美味しいよね」 「……!」 口を開くだけで他人の地雷を踏み抜くタイプの人間なのか? 俺は天然なんて言葉を信じないが、こいつが俺の理解が追いつかないレベルの間抜けならその発言の危うさは納得がいく。誰かに聞かれていないかと即座に周囲の人気を確認したが、幸運なことに周囲に人の姿はなかった。咄嗟に魔法を発動して周囲の音を遮断し、口元を悟られないよう手で隠して男の耳に唇を寄せる。 「普通、王子と同伴で物を食べたりしない。他の生徒に聞かれたら俺がしたことよりもっと酷い嫌がらせを受けるぞ」 「わ、わ……! ルカが、ルカの顔が近くに……!」 「話聞いてるか? ……あと、俺にそれを言うのはとても嫌味だ。ムカついた。今から殴るから」 言うが早いか、目を瞑り勢いをつけて手のひらを振るう。パチン!と音がしたのと同時に手のひらに鋭い痛みが走ってじわじわと涙が溢れた。これだけ痛いのだから、叩かれた側はもっと痛いに違いない。 手をふるふると揺らしながら男を見遣ると、叩かれた頬を押さえてうっとりと笑っていた。 「ひっ、な、何だその締まりのない表情は……!」 頬を叩かれたくせに幸せだと顔に書いてある。そのくせ、緑色の瞳だけはぎらぎらと光を吸収した宝石のように輝いて見えた。 なんだか怖い。昔は俺のことをこんな目で見る大人がたくさん居た気がするが、王子の婚約者になってからはめっきり見なくなったはずなのに。嫌なことを思い出させてくる。 「あー……ありがとう、いいねその表情。君はやっぱり怯えた表情が一番可愛い。今までで一番来たよ。可愛すぎて我慢できなくなりそうだ」 早口で捲し立て、あとに付け加えられた「駄目だな、王子との約束があるのに」と囁くような声は聞かせるつもりはなかったのだろう。だが、声を拾ってしまったからにはその内容が気になる。 「お前、王子のことをどう思ってるんだ」 「王子? ……ああ、いい奴だよ。彼がいなければ俺はこの幸運を掴めなかっただろうしね」 「良し悪しなんて聞いてない! 王子がいい人なのは当たり前だ! そうじゃなくて……す、好きなのか?」 こいつが現れてから、王子は俺の側にいる時間がすっかり減ってしまった。学園の皆は噂している。王子はこの異世界人がお気に入りなのだと。 それまで婚約者として側に居てくれたのに、俺のことは見向きもしない。俺はこういうことには疎いけれど、俺にでもわかる。王子はこいつのことが好きなのだ。俺と天秤に掛けてこいつのほうへと傾くくらいに。 「王子がお前のことを好きなのは仕方ないけど、お前が王子を好きなのは許さないからな。王子の婚約者は俺だ」 「ルカ、まだそんな勘違い起こせるなんて鈍いところも可愛いね」 「はぐらかすな! 俺が可愛いことなんてお前に言われずとも知ってる!」 「うわ可愛い。俺が好きなのは……うーん、これを今言うのは契約違反かな?」 契約? 聞き返したかったが、奴はもうこの件で口を開く気がないらしい。にこやかな表情で「それよりも」と言うと同時に、膝の上にあった重みが消えた。 「これ、本当は王子宛だろう? ここのガナッシュ、あいつの好物だ」 「ち、違う! 俺のおやつだ! 返せ!」 「あとルカも好きなんだってね」 「うっ……か、関係ないだろう……!」 好きじゃない。俺、本当は甘いものは好きじゃないんだ。王子の好物だと知ってるから美味しいって答えただけで。 箱を開けると甘い匂いが鼻腔を擽る。食欲は湧かない。食べようと思って開けたが、このまま押し付けてしまってもいい気がした。 「ねえ、俺も好きなんだ。一緒に食べていい?」 「そんなに欲しいならくれてやる」 「え、あれ? ルカ? ねえルカ!」 二度目の魔法を発動し、足音を消して()の姿が見えたほうとは反対方向に走る。あとのことは知らない。二人が並んでいるところを見たくなかったからだ。 ── 「逃げ足は速いな。新居は逃げ場を無くしておかなくちゃ」 「夕陽」 「あ、王子。ねえ見てこれ、ルカに貰ったんだ。こっちの人ってちょっと俺の世界の知識教えただけで真似てくるから可愛いよね」 バレンタインと呼ばれるこの奇妙な風習は、噂によると異世界人が向こうの世界から持ち込んだ知識らしい。夕陽の様子からしてそれが起源で正しいのだろう。 手元を覗き込むと、先ほどルカから断った贈り物がそのまま手に収まっていた。 「ガナッシュか。お前それ好きだな」 「うん、ルカが好きだって聞いたから。けどもういいや。俺、本当は甘いもの嫌いなんだ。いる?」 「……王子()に食べかけを押し付ける不敬が許されるなんてこの世界にお前一人だぞ」 「毒味してあげたんだよ。俺は満足したから許してあげるよ。本当は受け取りたかっただろ? 可愛い弟からの贈り物」 「全く、ルカを悲しませる俺の身にもなってくれ。お前がルカに手を出さない条件で色々と願いを聞いてやっているんだ。いくら勇者と言えど、契約違反は許されないぞ」 「俺は違反してないよ。ルカのほうから寄ってくる分には問題ないだろう?」 飄々とした夕陽の様子に頭が痛む。不用意に近づいているルカにもだ。何度か彼には手を出さないよう窘めたが、どうにも誤解を受けている節がある。 夕陽の在学期間が勇者としての素質を隠さなくなるまでが猶予だ。それまでにこの抜け目ない男をどうにかしなければならない。たとえ恋をする相手ではなくとも、俺はルカを悲しませたくはないのだから。 「箱を寄越せ、本来は俺宛だ」 考えることは山ほどある。足りない糖分を補うように、貰ったばかりのガナッシュを口に放り込んだ。
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