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それを喉元に持ってくると、微量の魔力を流し込んだ。それが発動の合図だから。一瞬だけ周囲に淡い光が飛ぶ。
「……そうか、王子の。こればかりは恐れ入るよ」
喉の痛みが引いていく。喋らずとも、ゾーイは今のが何なのかわかったはずだ。まあ、授業で作らされるからな。自分の魔力を石に閉じ込めた魔石。
王族は代々医術に特化した魔法を使う者が多い。魔法は遺伝しないはずなのだが、不思議と。だからこそ尊ばれ、王という地位が出来上がったというのがこの国の興りとされている。
「でも、うん、今のを使ったということは……」
「ああ、王子にお前の居場所がバレたな。お前は堂々と俺の家から出たのを目撃されているから」
魔石を人に明け渡すということは、その人物に自分の魔法の使用許可を一部与えるということだ。だから無闇矢鱈に渡してはいけない。この石は俺たちが婚約したときに交換したものだ。捨てられてなければ俺の魔石も王子の手元にあることだろう。
「君はいいの? 俺が言うのもなんだけど、ルカは王子のことをもっと慕っていると思っていたよ」
「俺から言えることはほとんど無い。『文句はどうぞゾーイに。魔王を殺したとなれば彼はもう貴方のものだ』……王族と勇者の問題だ。もう無関係の俺を巻き込むのはお門違いだったな」
「ルカはまだ気づいていないんだね。察しが悪い子ほど可愛いから、いいんだけど」
含みのある言い方に目を眇める。
「王子が君との婚約を破棄したのは間接的にでも君を守ろうとしたからだよ。彼は俺がルカのこと好きなのを知っていたから、自分が結婚することでルカを守ろうとしたんだね」
「……は?」
「俺が横恋慕で君との婚礼を望むことは不可能じゃなかったし、むしろそっちのが楽だったはずだ。でも慣例があるから王子たっての申し出ともなれば俺も断るのが難しい。……まあ、結局白紙にしたけどね」
「どういうことだ? 俺は王子に捨てられたんだぞ?」
第二王子はゾーイに惚れ、俺を捨てた。表向きには俺の不祥事から婚約破棄とされている。
学園では皆、俺を指差し囁いていた。あれが身の程知らずの公爵令息かと。
「それ、本人には確かめなかっただろ? ルカに悪い噂が立ったのは……そこだけは責めないであげてほしい。俺も悪かった。城内ではシーソーゲームが行われていたはずだ。勇者(ゾーイ)と王子と公爵令息、三人の中で誰が不祥事を起こすのが都合がいいかと話になったとき、真っ先に蹴り落とされたのが公爵だった」
「……つまり、つまり? どういうことだ?」
「王子は君のことを弟のように想っていると言っていたよ」
「……嫌われてなかったのか」
ただそれだけで胸がすく。気がつくとぼろぼろと涙が溢れていた。頬に熱が集まる。ゾーイの視線から逃れるように俯いて、涙のあふれる目を擦った。手に持っていたコップをゾーイが受け取って、ベッドサイドのテーブルに置かれる。
王子に会いたい。何か未練があるわけでも文句を言いたいわけでもなく、ただお礼が言いたかった。俺が彼と過ごした時間は穏やかで、そこには友愛よりも兄弟のような親愛だけがあったから。
「俺、俺だって、兄のように……」
「じゃあ次は俺の番だね」
「へ」
いつの間にか隣に座っていたゾーイが俺の肩を抱いた。シーリングライトの光に照らされて、美しいエメラルドの瞳が煌々と眩い。
ただそれだけだ。なのに、何故か胸がざわつく。言葉にできないが何か嫌なものを感じた。
「君の家には鉄格子が嵌められてたよね。どうして取り付けられていたか考えたことない?」
「? あれは俺を外に出さないためのもので……」
「なら内側に取り付けるはずだよね。ね、本当にわからないかな? 答えも、この状況も」
ゾーイが視線を滑らせる。つられて俺もそちらを向いた。寝室と思われるこの部屋には扉がひとつ、窓がひとつ。ちょうど風が吹いたのか、カーテンがはためく。
「え……?」
「やっと気づいてくれた?」
外は暗かったが、見間違えない。一瞬だけ見えた窓の内側には真新しい格子が取り付けてあった。
温まったばかりの指先が冷えていく。頭は妙に冴えていて、いくつものピースが嵌って一つの答えが見えてくる。そのくせこの場を打開する策は出てこなくて、ただただ警鐘が鳴り響いていた。
「……いつからだ?」
短い言葉でゾーイに問う。ただ時期だけを問うそれが何を聞いてのことなのかわかるのか、ゾーイは微笑み「最初から」と囁いた。
多分、俺だけがわかっていなかった。
学園内で彼とは王子がいないときにしか出逢わなかったのではなく、意図して王子が会わせなかった。
あの鉄格子は俺を外に出さないためのものではなく、外部から俺を守るためのものだったのだ。
「一目惚れだったんだ。ねえ、どうする? 君を手に入れたから俺はもうこの国に未練はないんだ。一晩あれば俺は城を潰してみせる。その証明はできたはずだ」
どうするって、どうすればいいんだ?
切れるカードもわからないままゾーイが選択を迫る。
先ほど使った魔石で王子は俺の居場所がわかる。王城近くの森の中、馬を走らせればすぐのはずだ。そうしたら俺は王子に助けを求めて、それで……それで?
嫌な結果ばかりに行き着く。考えがまとまらない。震える俺の顔をゾーイは楽しげに見つめている。
「選ぶのは君だ、ルカ」
──外からは馬の嘶きが聞こえた。
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