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番外
こんなの絶対認めない。
と喚いたところで、現実はどうにもならない。俺は今もゾーイの作った箱庭の中にいる。箱庭……小さな一戸建ては周囲に何もない森の中に建てられている上に、俺の行動を制限する枷が足首で忌々しい音を立てた。身の保証はされているが、人権はない。豪奢な檻と言ったところだ。
だが今に見ていろ。ここから絶対出て行ってやる。あいつはなんだかんだ言って俺のわがままに弱いし、王子のこともちゃんと友人と認識しているようだ。王子が俺のことを全く、これっぽっちも恋愛感情で見ていないと断言したことも大きいだろう。
「ちょっとルカ、人権がないってどういうことかな? 俺はちゃんとルカの全てに配慮して大切に扱ってるつもりだけど」
「っ、うわあッ! 人の日記を勝手に覗き込むな!」
背後から音もなく忍び寄って俺の手元を覗き込んだゾーイが不満げな声を上げた。
まさか、足枷を嵌められて監禁された状態で人権配慮したつもりだと? 笑わせるな。これなら公爵家で働いていた小間使いだってもっとマシな生活を送っていたくらいだ。
強姦と変わらないの分際で『新婚さん』と称して日がな一日ベッドから出してくれない色狂いに何を言っても無駄だと思い直す。さっと腕でノートを隠しながら顔を背けた。だが、それが面白くないらしいゾーイに日記帳を取り上げられる。ゾーイの身長は俺より幾らか高いから、腕を上へと伸ばされるとノートに指先が擦りもしなくなった。
「ルカも懲りないなぁ、そうやってこっちの機嫌を窺って媚を売ろうとしないところが好きだけど」
「お前にへつらったところでどうせ結果は変わらない……うわっおい!」
ノートが投げ捨てられた。それに一瞬を取られていると、足払いをする要領で片脚を蹴られる。不意打ちに身体が傾くと、膝裏と肩に回された大きな掌が俺の身体を支えて持ち上げた。
「ルカの仕事は俺の相手をすることだ。そうだろ?」
「そういうお前の仕事は何もないんだったな、この無駄飯食らい」
「それ、ブーメランだと思うけどなあ」
桁違いの超魔法を用いて魔王を討ったとされるゾーイは勇者としての地位を確立した。それどころか、化け物じみた力で王国に圧力をかけたのだ。
わざわざそんな真似をしてまで手に入れたかったのが俺というのだから、とんでもなく奇特な奴だと言うほかない。新婚だの恋人だのと言うが、こいつの中で俺はペットのくせに。
「俺はお前と違って世の中の役に立ってる。例えば……ええっと……お前の醜態を世に知らしめる義務があるからな!」
「ああ、最近王子に書簡を送る回数が増えたのはそういう事情かな? 俺とルカの新婚生活を広めたいなんて、大胆だな」
「全然違う!」
王城から目と鼻の先にある王都はともかく、市井では勇者の武勇が讃えられているらしい。確かに、こいつは見た目だけなら褒めれるところがあるから。
だが見た目だけだ。この世界では珍しい黒髪も異世界人の世界では普通の色味らしいし、こっちに召喚されたとき変質したという緑の瞳もこちらでは見慣れた色だ。平均身長であるはずの俺を「小さい」と評する高身長だって少しだけ、本当に少しばかり羨ましいだけ。ただそれだけ。
「お前がどれほど自堕落で性欲にしか興味がなくて自分勝手な奴か、俺しか実態を知らないから王子にリークしてるんだ!」
あの人は賢い。俺の書く手紙はゾーイが検閲して彼の手元に渡るから盛ったことは書けないが、生憎と全て事実だ。俺が気絶しても行為が終わらないことも、朝まで抜かずの5連発に付き合わされた挙句明け方ようやく眠らせてもらえて昼を過ぎて目を覚ますのも、ちょっとあいつが目を離した隙に逃げ出そうとしたお仕置きと称して森の一角を燃やして脅しをかけてくるのも、全部。
きっと俺の助けを求める言葉に気づいて第三者に広めてくれるに違いない。そうすればこれがいかにおかしな状況か気付いて、今すぐは無理でもいずれは俺もゾーイの魔の手から逃れられる。
「……それ、俺本人に言ったら意味ないと思う」
「あっ」
「あれって惚気のつもりじゃなかったんだね。王子困惑してたよ。いくら何でもルカの性事情にまで首を突っ込みたくないし、聞きたくないってさ」
「えっ」
全然伝わってないじゃないか!
しかも俺が恥を忍んで出した情報は彼の手元で止まっているらしい。わなわなと震える俺をどう思ったのか、ゾーイは楽しげに俺を見つめている。
「俺は王子に俺とルカのそういうところを聞かせる度にその反応に安堵するからいいんだけど、ルカは恥ずかしいんじゃないかな」
「当たり前だ、俺は所構わず盛るお前と違って理性がある」
「嫌なことならやめてしまえばいいのに。文句を言いながら君は逃げない。今ここにいるのだって、君が望んだ結果だ」
あまりな言葉にきつく睨みつけた。それすら楽しそうに笑われ、口元が歪む。
俺が逃げなかったのは、あのとき逃げればどうなるかわかっていたからだ。
あの日、王子の腕の中で泣くことが許された日に俺は正しく運命の分岐点に立っていた。選択を間違えればゾーイは俺以外皆殺しにしていただろう。その選択肢が存在するのだと言外に提示してきたのはこいつだ。
もしくは、皆殺しした上でもう一度俺に選ばせようとしたかもしれない。それで選ばなければ今度こそ俺が殺されていたのか。
全ては可能性の話だ。現実は俺は彼の手を取る以外に選べず、今こうして豪奢な檻の中にいる。
「君は王子の腕の中で泣きながら、彼の甘言を拒否した。彼だってルカを救うために必死だったんだ、俺を殺す手がなかったわけではないだろう。例えば、君の遮音できる魔法を使って死角から俺を殺したりね」
「……っ」
その選択は存在していた。提示されたカードを選ばなかったのは俺だ。選ばなかったのはこいつが憎くなかったわけではない。もし失敗したら? その可能性を考えることが恐ろしかったからだ。
停止した思考が選択権を放棄し、結果として俺はゾーイに飼い殺されることになった。それが良いことか悪いことかで言えば悪いことだ。だが、けれど。
「じゃあどうしろって言うんだ……!」
俺が大人しくこいつの手の内に堕ちれば誰も傷つかない。俺は自分が傷つく代わり誰かを犠牲にすることは厭わないが、それにも限度がある。俺一人の身の保証か、王国の滅亡か。天秤にかけられるほど自分の価値を高く持ち上げてはいない。
唸るように呻くように蹲った俺にゾーイが微笑む。とても楽しそうだ。こいつを前にすると、俺は奴のおもちゃなのだと思い知らされる。一挙一動を観察されて鑑賞されているのだと。何が愛だ、死ねばいい。
「選ぶのは君だと、俺は言ったよ。俺の死を選ばなかったのは君だ」
そう言って奴は俺の涙の浮かぶ目尻にキスを落とした。その唇がまぶたに移り、鼻梁を辿って唇に到達する。合わせた唇をこじ開けられ、湿った舌が侵入する。
「んっ……」
反射的に甘い声を漏らす俺のことをゾーイは紅潮した面持ちで見つめていた。
俺は時々感情が抑えられなくなって爆発してしまうくらいこいつの身勝手なところが嫌で嫌で堪らないのに、こうやって俺に夢中になるところを見るとどこか安心してしまうのだ。
ゾーイの死を選ばなかったのは、どうしてだろうな。
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