せんそうせんのう

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じめりとして冷たい混凝土の通路に漂う不快な金属の薫りは、どこか牢獄を思い出させるようだった。僕達の足音に被せるように雨漏りの音が一定のリズムを刻んで鳴る。前を歩いていた長官がくるりと振り返り、苦笑した。 「中々修理が出来ないのですよ。あまり部外者を立ち入らせたくないものですから」 僕ははぁと頷く。長官は偽物の笑顔を貼り付けたような顔をしていて、とても胡散臭い。 「あの...僕は何年ここに勤めればよろしいのでしょう?」 「さしずめあと三年でしょうな。まあその前に耐えきれず、辞めてしまうかとしれませんがねぇ」 僕はその言葉にムッとして俯いた。握り拳を強く握る。僕は少年時代から我慢強い子だって言われていたんだぞ。選ばれたからにはこの仕事を全うするさ...。 「芳村さん、そんな調子じゃいけないですよ。ところで仕事の内容は担当の者から聞いておられますよね?」 「あぁ...少しだけ。親のいない子供の教育だと聞いておりますが」 「それだけですか?」 「ええ。この一言だけですが。これ以外に何か...?」 「おかしいなあ。しっかり全部伝えるようにと言付けておいたのに。仕方がありません。私が全て説明致しましょう。こちらの部屋にお入りなさい」 長官は通路の途中にある苔が生えて重そうなドアを押し開けた。中に入るなり、手招きをして僕を木の椅子に座らせた。本当に牢屋みたいな部屋で、上の方に設置された鉄格子の窓から冷たい風が吹き抜けた。腹の出た長官もミシリと音を立てながら木の椅子に座り、ため息をつき、声を潜めて言った。 「単刀直入に言いましょう。まず、ここの子供達というのは普通ではありません」 「普通でないというのは?頭のおかしい...?」 「違うとも正解だとも言い難いですが...。ここに住む子供達は戦争の為に私達が思考を支配した不遇な子供達なのです」 「戦争の為の...?」 「はいそうです。この戦争がもう20年も続いていることは知っているでしょう?20年前の戦争が始まった時、当時比較的平和な生活を送っていた我々日本国民は生温い生活から抜け出すことが出来なかった。兵士として戦地に行くのなんて以ての外。今でさえ嗜好品を手放そうとしないでしょ?私達は焦りましたよ。国民は戦争に対する理解がまるで無い。このままでは負け、他国に隷従をする未来しか見えない。ええ、まあ最近の戦争なんて大体は無人飛行機の撃ち合いですけれども。でも戦争には人間がある程度は必要なんです。そこで考えました。戦争に特化した人間を造れば良いと」 僕は何か恐ろしい物の扉を開きかけている気がした。鳥肌がぞわりとたった。こんな話聞いたことないぞ?確かに戦争中の割には多くの人が田舎で悠々と生活をしていると思っていたけれど...。 「私達は手始めに年齢の低い捨てられた子供達を一箇所に集めました。集めた場所がここです。ところで芳村さん、戦争において一番不必要なものはなんだか分かりますか?」 「不必要なもの...?さっき仰っていた嗜好品でしょうか?」 「いえいえ。正解は死への恐怖です。分かりますよね?死への恐怖があるからいざという勝負に勝てない。死への恐怖がなくなった瞬間、人間は精強になる。そうです。子供達から死への恐怖を取り除いてあげれば良いのです。そうすれば彼らは恐ろしく強い兵士へと生まれ変わることが出来るのです!事実、子供たちは死への恐怖心が無くなり、強くなりました。戦いで負けることは決してありません」 長官は興奮しながら吐き散らした唾が僕の顔にかかる。この人は何を言っているのだ?そもそも戦争には子供が行っているのか?そんな事が許されるのか? 「貴方様には教員として彼らの教育をしてもらいたい。戦争のね。彼らには勝手に行動することと他人と親しくなることは認められていません。なので貴方も不必要なことを喋ってはいけませんよ。勿論、彼らへ情がわいたり、親しくなったりする事も論外です」 長官の言葉を聞き、僕の中から怒りがフツフツと沸いてきた。狂っている。こいつ、狂っている。僕は耐えきれずに叫んでしまった。 「酷すぎますよそんなの!ただの戦争のための道具じゃないですか!今すぐこんなことは止めるべきです!速急に国民に公表して謝罪を...」 僕の言葉に長官がいきなり立ち上がった。怒りで真っ赤に染まった顔につくギョロりとした目がこちらを睨みつける。そして彼は仁王立ちになり、恐ろしい剣幕で怒鳴り始めた。 「じゃあ貴方が戦争にお行きなさいよ!恐ろしい戦場に!無責任なんですよ貴方達。彼らが存在することで貴方も含めみんな今日まで生きてこれた。戦績で賭け事をしたり!賠償金で贅沢をしたり!ぬるすぎるんです。みんな誰が戦争に行っているのかも理解しないまま呆けて生活しているんですよ。反対するのでしたら、呆けている愚図な奴らを引き連れて戦争にお行きなさい。どうせすぐに死ぬと思いますがね!」 僕は呆気にとられ、長官の顔を凝視していた。確かに彼の言う通りだ。彼はふぅーふぅーと肩で息をしている。 「浅はかで申し訳ありませんでした」 一言謝るので精一杯だった。彼はもういいですと呟き、最後に芳村さんお願いしますと言って扉の向こうへ去っていった。怒らせてしまった。僕は自分の吐いた言葉に後悔をした。彼に許してもらうにはこの任務を完璧に遂行するしかない。僕は一人で薄暗い通路を歩き出した。 他の教員達に迎えられ、僕は新たな日常の一歩を踏み出した。教員達は僕と同じ若い人しかいない。それを疑問に思い、一人の教員に尋ねてみると、なんてことも無いように彼は言った。 「ああ。ここの子供達には人間は25歳で確実に死ぬと教えてありますので、貴方と同じ25歳以下の教員しかいないのですよ」 「それは何故でしょう?25歳以上生きてしまった方はどうなるのでしょう?」 「人間は25までには必ず死ぬから、何も構わずに特攻しなさいと言ってあるのです。死への恐怖は戦争の敵ですからね。あとそれについては心配ご無用ですよ。戦争は無情です。今のところ全員戦死していますから。25歳以上生きられたものはいません」 それから彼は淡々と他のことについても説明をした。貴方は子供たちに銃の種類について教えなさい。あと彼らの監督を。余計な会話はせずに、無表情で尽くしなさい。子供たちには名前がありません。数字で管理しているので、明日までに全員の数字を暗記すること。それから私たち教員は区別がありませんので、子供たちには決して名前を教えないこと。ああそうだ、銃について分からなければこの本の内容をそのまま伝えてください。子供たちは字が読めません。 少しの淀みもなかった。僕がこれから宜しくお願いしますと言うと、彼は 「明日私は25歳の誕生日を迎えるので今日で退職を致します。今日一日限りですがよろしく」 と言った。 教員達は彼を含めてとてもくたびれたような顔をしていた。この次の日に初めて子供たちに会ったが、小さい子供たちも大人に近い子供たちもやはりくたびれた顔をしていた。みんな無口であり、無表情でもあり、濃密な死のオーラをまとっていた。どうやら子供たちは授業と訓練以外は自室に入れられており、他人と接する事が少なく、会話がままならないらしい。僕は初めて本物の恐怖を味わった。廃人と化した人間はこんなにも恐ろしいのか。それは教員達も同様だった。教員同士での会話は禁止されていないが、なぜだか必要最低限以外の会話はしない。この建物に漂っている負の雰囲気が僕の精神を蝕んだ。しかしこんな地獄の状況でもあと何年かはここで寝泊まりでやっていかなければならない。 僕は15、6歳の子供の授業を担当した。最初はあの人に言われた通りに銃についてだけを教えていたが、徐々に他のことも教えるようになっていった。勿論、全て戦争に関係する事柄だ。そして僕は授業をする中で一つの禁忌を犯してしまったのだ。ある一人の生徒と親しくなってしまったのである。これはあるまじき失態だった。後悔してももう遅いが、最期の懺悔話として話そう。 ある日、僕の担当している組に一人の子が入ってきた。聞くとその子は戦場先の爆風で脚をやられてしまい、長い間治療中だったらしい。 「すぐ気絶しちゃったので、全然痛さとかなかったんですけどね。足が潰れちゃいました。片脚義足になっちゃった」 なんてこともないようにその子は笑った。ここの生活では考えられないような明るい子でだった。憔悴しきっていた僕を照らしてくれた。久しぶりに温かみがある人と会い、僕は知らず知らずの内にその子を特別な存在として心の拠り所にした。毎日のように他の人達の目を盗み、その子と密会をした。その子の部屋の窓からこっそりと入り、その子と語り明かした。大体はその子からの質問に僕が答えてあげるという形式だった。先生は昔何をしていたの?とか、好きな本は何?とか。好奇心旺盛な子だ。その子はここで育った子としては会話が上手で字も読めた。理由を聞いてみると、昔いた他の教員ともこうして内密に会い、字の読み方書き方を教わっていたと言う。そしてどうやらその子には周りを元気づける才能があるらしい。現に僕もその子と出会ってから、毎日が少しだけ楽しくなったのだ。 しかし僕がここへ来て一年ほど経ったある日の事だった。その子が戦争に呼ばれてしまったのだ。僕はいてもたってもいられなかった。その子がいなくなったら僕はまた地獄のどん底に突き落とされる。その子を愛している。ここで温かみがある人間はその子だけ。僕は生まれて初めて必死で上の人に講義をした。 「彼は義足です。まだ動く事がままならないのです。どうか今回は見送りに...」 しかしあいつは無慈悲で、薄情だった。 「だからなんだ?使えない奴ほど戦争に出すべきだろ。金の無駄だ。どうせいつかは死ぬんだ。出兵という役に立って死ね」 僕は絶句した。余りにも酷く、最低。僕の心は固く痛んだ。口内が乾き、身体が痺れる。頭が真っ白になっていく。道具じゃないんだよあの子は。心も身体も生きている人間で、軽々しく死を向けられるべき存在ではない。 「ところでなんであんたはその子を庇う?もしかして大事にしてた?知ってると思うけどそういうの駄目だから。とにかくあの子は必要ないしさっさと死んでもらうからな」 「死ぬのはお前だよっ!」 僕の中の何かが切れた。僕は我慢強くなかったみたいだ。怒りでふわふわと足が浮かぶ。力を込めた拳をそいつの頬に食らわせた。バキリと音がした。歯が折れたようだ。初めて本気で人を殴った。その割には身体の内側は嘘みたいに冷静で、これが正しいのかどうかももう分からない。心臓の鼓動が早い。僕とは反対にパニックを起こしたあいつが、誰か来てくれと叫び続けていた。 それから僕はどこか暗い部屋に閉じ込められた。何日閉じ込められていただろうか?久しぶりに外に出た時、その子の姿は影も形もなかった。あの子に限らずついこの間までいた子もいなくなっていた。反対に新しい顔もたくさんいた。僕はもう何にも考えたくなかった。誰とも話さなくなった。新しい教員も来たが、必要最低限以外の事は話さなかった。昼間は機械のように成すべき事をし、夜は悪夢にうなされながら浅い眠りをした。その繰り返しで日々は過ぎ、25歳の誕生日の前日になった。この日が来るまで、多くの子供たちがいなくなり、冷たくなった子供たちが何人も還ってきたが、あの子はいつまで経っても帰って来なかった。その子が例え冷たくなっていたとしても一目見たかった。それだけが心残りだ。ここを退職しても特に何もすることはない。昔の志はとっくのとうに忘れてしまった。ここに就く間の数年で僕は一気に老けてしまった。艶やかだった黒髪には白髪が混じり、ハリのあった肌は黒ずんで乾いてしまった。 そして最後に僕はあの子の部屋に行くことにした。あの子の部屋はあれから誰にも使われず、物置と化していた。乱雑に置かれた物に厚い埃が被っており、清潔だったあの子の部屋の面影はなかった。 「あれ?」 あの子が使っていた机の引き出しにに埃にまみれた白い紙が挟まっていた。彼の遺書なのだろうか?僕はそっと紙を取り出した。丁寧に開いてみると、あまり書き慣れていない拙い字で、僕への思いが綴られていた。 『先生へ 最期に会えなかったのがとても残念です。元気そうなふりをしていましたが、実は義足でない方の脚も深く傷ついていまして、痛さで全く動けない時がありました。なので今度の出兵では確実に死んでしまうでしょう。でも不思議と死が怖くないのです。昔、内緒で先生方の本を盗んで読んでいた事があるのですが、多くの本には死は恐ろしいものだと書かれてありました。死のどこが恐ろしいのでしょう?この疑問を先生に直接投げかけられたら良かったな。でも仕方ありません。これでお別れですね。先生はとても温かい方でした。今までとても楽しかったです。先生はお身体に気をつけて。さようなら』 僕は我慢することが出来ず、大人らしからずに涙を流した。温かいのは君だった。でも死の恐怖は無かったんだね。ああ、そうか僕ももうないのかもしれない。僕は確かめるようにふらりと窓から身を乗り出し、あの子が待つだろう場所へと旅立った。
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