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講義室に着いたのは、ちょうど一限と二限の間の休み時間だった。扉を開けるとしゃべっている人と寝ている人が半々。
でも、優さんはそのどちらでもなかった。いつもとかわらない席で、シャープペンシルをくるくると回しながら、その目はどこを見ているんだろう。
「考え事? 難しい顔してる」
優さんの隣の席に荷物を置きながらそう言ったら、優さんはわたしを見てああ、おはようと言った。
「おはよ、寝坊しちゃた。優さん一限のプリントあとでコピーさせて」
「はい、とっといたよ」
わお。優さんさすがだ。わたしが一限出ないってわかってたのかな。差し出されたプリントをありがたくいただく。
「何考えてたの?」
コートを脱ぎながら訊いてみた。
「ねえ、姫島」
いつも通りの澄んだ声。わたしの名前を呼ぶその声に、ちょっとだけ、ほどけかけたマフラーに顔をうずめたくなった。
優さんはわたしを見ることなく、こう言った。
「恋ってなんだと思う? 愛とは何か、でも良いんだけど」
静寂。
ピタリとすべてが止まった。
やがて優さんが視線だけでわたしを見た。わたしは何とかちょっと首をかしげてみせる。
わたしを見る優さんは、ふざけているようには見えない。冗談にも見えない。真面目に訊かれている気がする。多分そうだけど、いや、わたし今、何を訊かれた? どう答えたらいいの? 恋? 愛? 哲学的な答えが求められているの? それとも感情的な答えでいいの? そもそも、どうしたの突然? もしかして、試されてる?
優さんの目が、わたしを見透かしているような気がして、でも、違う気もして、何もわからなかった。
「ごめん、変なこと言った」
何も言わないわたしを見て、優さんが早口で謝る。
「きょすう」
何か言わなくちゃと焦るわたしの口をついたのは、たった一語、それだけだった。
え? と今度は優さんが首をかしげる。
「ああ、虚数ね、確かにアイだ」
ふわりと降りてきたのは優さんの納得したような声。
虚数。Imaginary number iは虚数単位。二乗するとマイナス1。
恋に対する答えにはならないけれど。
一体どうしたの、と口を開きかけたところで、配布物一部ずつ取って、と言う声が聞こえて、もう二限が始まることに気づいて、わたしは言葉をのみこんだ。
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