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呆然としていた僕の意識を、電子音のチャイムが引き戻しました。それは、恋人からのメッセージの受信を告げるもので、あの頃の僕にとっては最も恐るべき音色でした。
先輩の勧めで知り合ったその人は、たぶん、いえ、確実に、僕のことなんか愛してなかったし、何より僕だって、あの人のことなんかちっとも好きじゃなかった。そもそも、先輩たちと過ごしているのも、本当は全く退屈でしたし、笑い者にされるのはいつだって僕ばかり、それでも独りになるよりかマシだと思って、僕は、興味の無い催しや、何一つ共感できない歌へ、必死に喰らい付いていた。置いていかれるのが不安で堪らなかったから、分からなくても分かった顔して、馬鹿にされようとも、刃向かったりせずに笑った。何一つ楽しくないのに。
『今から迎えに来て』。そんな旨のメッセージでした。今までの僕であれば、骨折でもしていない限り、あの人の元へ向かったでしょう。けれど椅子から立ち上がって、財布を手に取り、上着を取ろうとした僕は、ピタリと止まってしまった。外は雨、あと二時間ほどで明日です。僕はもう眠くて、お金だって先週のディナーで殆ど使ってしまって、新しい服も用意が無いし、なにより、あの人になんか会いたくない。
結び目で弾けた光が、輝いた糸が、僕の頭に浮かびました。
僕は、いや、誰だって、結ばれる糸を選んで、良い。結び合って、光が弾けて輝くような、そんな人と生きれば、良い。
初めて、僕はあの人の願いを拒否しました。それは先輩や仲間たちをも拒否するということ、でも構うもんか。断りの返事を送った僕は、あの人からの電話も無視して、タオルを抱え、そのまま風呂場へ向かったのです。
あれから、色々なことがありました。もつれ、複雑に絡まっていた関係性をほどいて回る苦労はありましたけれど、僕は今、心から愛する人たちと共に、楽しく暮らしています。
いえ、地球に戻る予定は、ありません。こんな未来が訪れるなんて、若い頃は考えもしなかったけれど、当時よりずっと、幸せです。
あのゲームですが、実は、それきりなんです。部屋に戻った時には、電波が不安定だったのか、回線が切れておりまして、慌てて再接続してみても、駄目。検索しても出てこない、履歴にも残っていなくて、でも、そういうものだったのでしょう。きっと。
最近では、どんな遊びが流行りなのでしょうか。空間転移はどうしても怖くて、僕、できそうにありません。
もし、あなたが何かで遊んでいて、それが糸を操るものだったら、そしてもう片方の糸を『悪くない』と感じたら、是非とも結んでみてほしい。あのゲームは今も姿を変えて、この世界に存在している気がするのです。遠い過去から未来まで、ずっと。
――これは僕の、根拠のない考えですが、人はみな胸の内に糸の切れ端を宿しており、それを結び、時には解く。営みって、こういうことなのかもしれません。
長い昔話に付き合ってくれてありがとう。あなた、幸せになってくださいね。住処が、世の流れが変化しようと、命の在り方は変わらない。どうか忘れないで。
結ばれた糸の、一本になった線の上を駆けてゆく光、その光が煌めく瞬間のため、僕らは今日も生きている。
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