糸を結ぶ

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 もう、四十年ほど前の話です。今の人には馴染みの無いものでしょうけれど、娯楽と言えば当時はコンピューターゲームが主流で、それもオンライン通信が人気でした。電波を拾って回線に繋がり、遠くの誰かと同じ世界を遊ぶのですが、例えば対戦中に揉めて、つい喧嘩腰になってメッセージを送ってみたら、全く読めない文章が返ってきて、ああ、相手は僕が行った事も無い、遠い国の人だった訳です。宇宙への移住が始まり、言語共通化チップが普及する以前は、こんな事がままあって、そうした言葉の応酬によって、新しい文化を覚えることも、顔も知らない友人が出来ることも、ありました。     二月の雨の晩のことです。自室に籠っていた僕は、大学の入学祝いに貰った自分のデスクトップ型のパソコンで、――すみません、きっとご想像のものとは違うと思います。当時のものは金属製で、形は四角く、机の上で使いました――憂鬱な日々の気晴らしに何かゲームでもしようと、適当に探しておりました。企業が高値で販売する作品もあれば、素人が無料で配るものもありますから、貧乏学生でも回線に接続さえできれば、そこそこ楽しめたのです。  その晩ですが、僕は異様に古臭く、そしてとんでもなく退屈そうな作品を見つけ、好奇心からプレイすることにしました。タイトルは『糸むすび』。説明文は無く、細い糸の写真が一枚載っているだけの、やる気の感じられない配信ページに、僕は不思議と惹かれました。ダウンロードは瞬く間に終わり、直ぐに開始画面が現れます。エンターキーを押下すると、目の前には長さ十センチ位の青い、細い糸が一本だけ横たわり、背景は白い木目調で、机なのか壁なのか、よくわかりません。糸は、右側だけ白く光っています。操作説明も無く、どうすればクリアーなのかも分からないまま、僕はとりあえずマウスを動かし、発光する右端をクリックしました。すると、一瞬だけ糸が持ち上がり、落ちましたので、もう一度クリックし、今度はドラックしてみると、糸はポインターと共に移動していきます。そのまま右へ右へと持ってゆくと、画面もスクロールしてゆきまして、それでは上下左右に移動できるのかとマウスをずらしてゆきますと、糸も画面も付いてきました。それにしても、自然な動きです。垂れた糸の揺れ方、影、毛羽立った細やかな繊維たち。まるで実際に糸を動かして、そのまま映しているようでした。  さて、そうして暫く糸を持ち上げて画面内をふらついていますと、左上を黄色の何かが去ってゆき、右下から赤い何かが迫ってきました。糸、他の糸です。  ははあ。僕は理解して独り頷きました。このゲームは『糸むすび』、つまりプレイヤー同士で結び目を作れ、という趣旨なのでしょう。なるほど、単純ながら面白い仕様です。赤い糸はゲームを理解しているらしく、僕の青い糸に近寄ってきます。ぶつかりそうになる手前で、赤はくるりと『奥』へゆき、青い糸を包むように一周したので、僕はとても驚きました。前後の操作もできるのか!どうすれば良いか分からない僕は、別のゲームで頻繁に用いられるキーを試そうと思い、糸をドラッグしながらwを押下しました。すると、青い糸は僕の正面から少しだけ遠く、細くなります。同様にsを押下しますと、糸は手前に戻ってきました。これで全てを把握しましたので、僕は赤に負けじと青色の糸を引っ張り、くねらせ、時に互いに譲り合いながら、やっとのことで輪が産まれ、僕たちは絡み合いました。このまま糸を引けば輪が狭まり、結び目が出来る。……なんてことのないゲームでしたが、少しは楽しめたな、そう思いました。赤が右へ進み、僕は左へ。段々と輪が小さくなって、隙間が見えなくなってゆき、繊維がキュウと締まる気配を感じた、その時です。操っていた糸の端、そこに宿っていた白い光が弾けるように瞬くと、糸の上をサァッと駆けてゆきました!同時に、赤い糸からも光が飛び出し、結び目に勢いよく衝突すると、まるで昼間の花火のように、パァッと丸く輝いたのです。散り散りになった光の粒は、互いの糸の中に滲むように吸われ、やがて見えなくなりましたが、光を浴びた糸は不思議と硬くなったように思えました。強く、解れない糸になったように、思えたのです。    
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