第五話 誰かが肩を叩く。

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初めて会ったのは近所に新しく出来た、居酒屋だった。 カウンターには若いカップルが居て、それ以外にはカウンターに座っている人はいなかった。 私はいつも一人で夕食をとる。離婚して家族と離れているせいもあるが、一人が好きなのだ。 新しく出来た店のカウンターは白木でとても綺麗だった。器も白さが光るくらいに見えるほどだ。 「いらっしゃいませー」 「よろしければ奥の席にどうぞ」 カウンター越しに前掛けをして、白い帽子をかぶった店主らしき人が手のひらを上に向けて奥の席を促した。 少し躊躇したが、断る理由がなかったのでそのまま席についた。 「こちらおしぼりですねー」 店主はカウンター越しに前から渡してくれた。 その時、私の右肘あたりに何か触る物があった。ハッとして見るが、彼女のほうを向いて、こちらに背中を向ける若い男性が何席も空けて居るだけだ。 その時、私の肩を軽く叩く人がいた。 振り向くと誰もいない。そのまま天井を見上げても何もない。どこからか雨漏りでもしていたのか、まあ気にしないようにして注文する。 春に近い冬。2月の終わり頃。都心のこの辺りにも雪がちらほらと降っている。 雪が降ると外の空気は澄んだ感じになる。少し風が吹けば、すうーっと冷たい。 そんな爽やかな夕方にふらっと寄ったのがこの店だ。 そして、やつとの出会いだ。 近くに良い店が出来たと、週に数回通うようになった。店主とも顔馴染みになり、行けば、いつものように愛想良く迎えてくれた。 「焼酎のお湯割りで」 「はーい、久保田さん、お湯割りね」 いつものカウンターの一番奥の席で焼酎を片手にメニューを見ていると 「あ」 という小さな声とともに トン と右肩を何かが叩いた。右を見ても誰もいない。背中全体にぞーっと寒気が通る。しかし、気がつかないふりをする。絶対に反応してはいけない。ヤツの思うツボだ。 「すみません」 今度は背中をこするように後ろを人が通り、奥の座敷に行く。この店は奥が座敷になっていて、その手間を曲がると突き当たりに化粧室という間取りになっている。 私はズッと男を立てて、椅子を引く。 そこの壁とカウンターの間は狭い。誰かが通ればすぐにわかる。 最初は単なる気配だった。それに気がつかないようにしていられたうちはまだ良かった。 2月のわりには暖かった日の夜、私はあの店に行った。嫌なこともあるが、何とも気に入っているのだ。 「いらっしゃい」 店主のいつもの声とともに店内を見廻す。いつもの奥のカウンター席には歳とった男がすでに日本酒徳利を前に置いて、うとうととしている。 私はやむを得ず、出入口に近いほうのカウンター席に座った。 「お久しぶりですね」 いつものアルバイトの女の子がおしぼりと小鉢を私の前に置く。 その時、また トン と右肩を叩かれた。 まだあいつがいる。しかも今日は座る場所が違うのに叩かれた。 「マズい」 とっさにそう思った瞬間、右肩に手をやってしまった。冷たい細い物に触れた気がした。間違いない、これは手、いや指先だ。 「すみません」 私はそう言って、席を立ち、トイレに向かった。その席から離れたかったのだ。 トイレの扉を開け、すぐ左側にある洗面台の鏡を見た。自分以外に何も、いや誰も居ないことを確認したかったのだ。 何いない。 そう安心して、洗面台の蛇口に手をかざして冷たい水が出てきた瞬間 トン 右肩を叩かれた。 今度は足の先から背中までずーんと寒気が走った。顔を上げたくない。もし何か写れば見てしまう。 顔をあまり上げずに目だけを斜め上に向け、右肩を見た。何も居ない。 ふー 思い切って顔を上げた。鏡には何もいない。 そのままトイレを出た。心なしか、扉を強めに閉めた。そいつに対する警告みたいなものだ。 やむを得ず、さっきの席に戻った。それからは数時間、何も起こらず、店を後にした。 家までの帰り道、コンビニに寄った。自動ドアを通り、雑誌コーナーを通り過ぎる時、鏡に写る自分を見てしまう。あいつの気配を疑ってしまうからだ。まあ、ここまでは居ないだろう。 「居ない」 安心して寝る前のラーメンやお茶を買う。レジは慣れない中年定員が、袋から商品を出したり入れたりしていたので数人並んでいた。 コンビニから自宅までは細い道が続く。畑と新しい二階建てのアパートの間を抜けると、大きい森が目に入る。 そこから農家の大きな門と神社を見ながらしばらく歩く。車はほとんど通らない。自分が歩いていくことを周囲に知らせるように、スマホのライトを点けたままにしている。10分程度で家に着く。古い木造のアパートだ。 サクサク と敷地の砂利道を通り、一番奥の部屋に行く。今日は仕事も忙しく、会議もあり、疲れが溜まっている。 まず、シャワー室のシャワーを全開にする。この冬は寒暖差が激しく、部屋の中はとても寒い。しかも乾燥している。 ふー ため息をついて、カーテンを閉める。買ってきた物は冷蔵庫の横のテーブルの上に置いた。その時、ふと何かが背後で動いた気がした。しかしそんな時はよくある。 まあ、気のせいだろう。 シャワー室に入るとずいぶん暖かくなっていた。
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