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夜8時。どうにかお弁当屋さんで野菜多めのお弁当を買って、家にたどり着く。
料理は中学生の時には、親の代わりに夕飯作ること出来るくらいにはなってたけど、自分だけのために自炊んなんて、疲れてるときにやってられっかての。
テレビの前に置かれたローテーブルには、朝のんだコーヒーのカップが残ってる。
カピカピになっているそれを、とりあえずシンクに置いて、水を注いでおく。
スーツをベッドに投げ捨てて、ブラもストッキングも脱ぎ捨て、とりあえずTシャツとジャージを着る。
髪はゴムで縛って、前髪はクリップピンで上げて。
「飯をくわせろーーーー!」
冷蔵庫から残り1/3になった麦茶の2Lペットボトルをだし、そのまま口をつける。
ほんとはビールがいいけど、明日も仕事だ。
飯。風呂。寝る。
これで私の夜は終わる。
回鍋肉弁当を無心に咀嚼して、間に麦茶を口に注ぎ込む。
「ねえ、美味しい?」
「は?」
回鍋肉から目を上げると、テーブルに小学生位の子が両ひじをついて、私を見つめていた。
「ぎゃああっ!」
そりゃ自分しかいないと思ってる部屋に、誰か……例えそれが子供でもいたらビビるに決まってる。
「ちょ、ちょっとあんただ……え?」
その顔には、妙に覚えがあった。
これは親の顔より見た顔だ。
「ちょっと待って……私?」
「うん、私」
にこっと何でもないこともように『私』は笑った。
(あーあかん……幻覚見えるほど疲れてるか)
視線を付け合わせの桜漬けに移し、それを口に放り込む。
コリコリとした音が脳にも響き、心地よい。
ご飯をもう一口食べて、視線を上げると、やっぱりそこには幼い『私』がいた。
「ねえどうして私がここにいるか分かる?」
「全然。てか何? あんた私なの? 私、子供の頃大人の自分の部屋に行った記憶なんかないんだけど」
そう言いながら、脳裏をまさぐる。
うん、そんな記憶はどこにもねえ!
「忘れちゃったんじゃない? 私、結構忘れっぽいから」
「なにおぅ?」
しかし忘れっぽいのは事実なので、強く反論は出来ない。
「そんなお弁当とか食べて」
非難がましい視線を向けてくる私に対抗するように、ブロッコリーを口に投げ込む。
モグモグ。
話すのは食べてから。
いくら私相手といえど、それくらいの礼儀は持ちたいものダヨネ。
「一人分だけつくるのめんどくさいんだよ」
「どうして? 最初は自分の分を作ることから始めたじゃん」
「あー、そういやそうだね」
夏休みになると、父親は当然のごとく仕事、母親もパートで昼はいない。
最初のうちはお握りやサンドイッチが作られていたけど、そのうち母親が適当に食べておいてというようになって、見よう見まねで自分だけのご飯を作り始めたのが、私の料理歴の始まりだ。
「ちゃんと作りなよ、ミツル」
「うるさいな。て言うか、その名前で呼ぶなよ。今私はミカ」
「私はミツルでもいいと思うのに」
「やだよ、花形じゃん。小学生で車運転とか犯罪じゃん」
そう、私は男だ。
でも今は女として生活してる。
生まれつき華奢で顔立ちも女の子っぽくて、自分が男であることに違和感があった。
目の前の私も、髪をボブカットにして、よく見なければ男の子だとは分からない。
「私が弁当屋の弁当で御飯食べてるから、文句いいに来たの?」
「そんなことで文句なんていわないよ。あーホントに忘れちゃってる?」
「何が?」
「15年前の4月2日。私が5年生になる年の春」
「うーん……」
「じゃ、話し変える。何で回鍋肉の肉残してるの?」
「えー? ダイエット的な?」
「違うでしょ。未だに肉が食べれないんでしょ」
「……………あーーーーっ! 思い出した、その服」
「そう、お母さんのワンピース」
「そうそう、勝手に着て怒られたの思い出したわー」
「怒られただけ?」
「え?」
「違うよね?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。怒ったお母さんに向かって、何をした?」
「えーと……」
自分の手をじっと見ていると、そこにじわじわと赤いものが浮かんでくる。
(血……でも、痛くない)
「あ、そうだ。お母さんの手を包丁で切っちゃったんだ」
「普通忘れる? そんなこと」
あきれたように、幼い私が言う。
あの時から、両親と私の関係はギクシャクしはじめたんだ。
それから、あの時以来、私はお肉が切れなくなったし、食べるのもすごく苦手になった。
包丁でお母さんを切ったときの、あの感触を思い出してしまうから。
でも、それを認めてしまうと、お母さんにも怪我をさせたことも絶対に一緒に思い出す。
それは嫌だ。
私はお母さんに嫌われている子供じゃない。
愛されてる子供だって思いたかった。
だから、忘れた。
お肉は嫌いなんじゃない、ただ何となく食べたくないだけ。
そう、私はお母さんの大切な子。
気がつくと、私の前から『私』は消えていた。
「ホント、私、忘れっぽいなあ。まあ、いいや」
どうせ忘れる。
忘れた方が都合がいいから。
でも、『私』はきっとまた私の部屋にやってくる。
私の罪悪感の化身として。
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