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地獄へ
「ショウ、あまり人間に深追いしない方がいいぞ」
「え?どう言う事っすか?」
今更だが、俺はショウと言う名前だ。この死神の先輩はシンと言う。
「レイ先輩、大変な目に合ったんだよ。下界の女と恋に落ちて消されるところだったんだ。その女は死者じゃなくて霊感があったから死神が見えたみたいで、それで仲良くなったらしい。結局、別れちゃったんだけどさ」
「レイ先輩が人間と恋?俺は大丈夫ですよ、恋なんて感情知らないし」
「死者が電話してる姿を見て、いつも泣きそうになってるだろ?人間には感情移入しない方がいい。自分が辛い目を見るだけだし、神様に消される事もあるんだから気をつけろよ!」
「はーい!」
そんな時、一番隅にある黒い電話が鳴り響く。
黒い電話からの通話——それは地獄へ行く死者の連絡だ。シン先輩からの目線を受け、俺はイヤイヤ重い受話器を取った。
「……もしもし」
「中林光(ひかる)、38歳、事故死。今すぐ迎えに行け。以上」
「はい、了解しました」
滅多に鳴らない黒電話。地獄へ行く死者を迎えに行かなきゃいけない。嫌だな、きっと犯罪者だろうな。上手く連れて来れるかどうか不安のまま、この世へと舞い降りた。
降り立った場所は駅のホームだった。ホームに電車が停車しているという事は、電車に轢かれた死体か。参ったな。なるべく近くに寄らない様に首を回し、死者を探した。体格のいい男がその光景を見ながらのっそりと立っていた。
何の感情も感じない不気味な雰囲気だった。
「あの、中林光さんですか?」
「あ?誰だ?」
「俺は死神です。あなたを迎えに来ました」
「死神?やっぱ死んだのか。電車に轢かれて死ぬなんて……天罰が下ったんだな」
その男の右目の下には大きなホクロがあった。絞殺された女の子が言っていた男だとすぐに分かった。こいつがあの可愛い女の子を殺したんだと思うと、憎しみの炎が燃え上がっていくようで握りしめた拳が震えた。
「あんた、女の子を殺したんだろう?」
「あ?女の子だけじゃないな、あと3人の子供を殺している。自分で止めれなかった、仕方ない」
「仕方ないって何だ!!」
俺は知らない内に、男の胸ぐらを強く掴んでいた。お前のせいであの子は家族と二度と会えなくなったんだ!他の殺された子だってそうだ!
〝人間に感情移入するな〟
シン先輩の言葉が脳裏を掠め、掴んでいた手を離した。そうだ、俺はただの死神なんだ。死者を迎えに行くだけのそんな役割だけ。
「すみません。さぁ、地獄へ行きましょうか」
「地獄か……やっぱな。殺人をしたんだからそうだろうな。母さん1人で大丈夫だろうか……」
「最後に母さんに会いたいのか?」
「あぁ、ひどい母親だったんだがな」
いくら腐り果てた人間でも、最後の願いは叶えてあげなきゃいけない。地獄行きだから最後の電話は出来ない決まりだ。仕方ない、会わせてあげるしかないな。
この男の母親は頬が窪み、ほっそりした体でベッドに座っていた。髪には白髪が混じり、顔色は青白く、病気に侵されているのが見た目で分かった。焦点の合ってない目で四角い窓を見つめながら、涙を流してボソボソ言っている。
「光……ごめんなさい、ひどい母親でごめんなさい。どうして居なくなってしまったの?悲しい、悲しいよ」
男は目を丸くし、驚きながらその母親に歩み寄った。
「何泣いてんだ?俺が死んで悲しいのか?小さい時に暴力を振るってたじゃねぇか!俺が嫌いだったんだろっ!!」
「嫌いなんかじゃないわ、むしろ愛していた。でも、あの時は1人であなたを育てなきゃいけなくて必死だったからあんな事……ごめんなさい!ずっと寂しい思いをさせてごめんなさい!」
不思議だった。母親には男が見えないし、声も聞こえないはずなのに……あたかも会話をしているかの様に見えた。
「お前はまた外で男を作って、帰って来なかったじゃねぇか。俺は寂しかった。お腹も空いて、毎日泣いて、でも誰も助けてくれなかった。男に振られたらまたのこのこ帰ってきて、俺が居ないかの様に過ごしやがって。毎日そんな繰り返しで、早く一人前になって家を出たかったんだ」
母親は泣きながら話を続ける。
「あなたが普通に働いて家を出るって言った時嬉しかったのよ。何もしてあげれなかったけど、あなたが自分の意思で道を選んだ事がとても嬉しかった。出て行ってから大変だった?あれから病院にも来てくれなくて、会ってなかったもんね。死んでしまうならどうにかしても会っておけばよかっ……」
母親は声を殺しながら泣き叫んだ。
「俺はお前に会いたくなかったから会いに来なかった。普通に働き出して一緒の職場の女と恋人同士になった。でも、喧嘩した時にその女が俺に手を挙げたんだ。その時お前に暴力を振るわれた事を思い出し、逆上してその女を殺しちまった。それから俺はおかしくなったんだ。お前への憎しみが腹の奥から出てきて、母親という生き物に復讐したくなった。だから、一番苦しむであろう子供を攫って殺したんだ」
母親が震えた手を男へと伸ばす。
「人を……殺した?あぁ、全部、私のせいよ!光は悪くないのよ!だから神様、私に罰を与えて下さい。光を生き返らせてあげて!お願い……お願いします……」
男は母親を抱き締め、いつの間にか泣いていた。
俺には人に暴力を振るう理由も、人を殺す理由も、母親や息子の気持ちも分からない。
でも、この親子は何処かがズレていただけなんだと思う。母親が早く「愛している」と言っていたら、暴力ではなく抱き締めていたら何かが違っていたかもしれない。
目の前の殺人鬼は生まれなかったのかもしれない。
あの世へと向かう時、またお節介だと思ったがこの男に言っておきたい事があった。
「あの、お母さんの愛、あなたが産まれた時からあったと思います」
「ん?どういう事だ?」
「愛してなかったら〝光〟なんて名前付けないと思います。希望の光を持って生きて欲しい、日の光の様に明るく生きて欲しいって付けたんだと思います」
「ありがとう、そうだな、もっと早く気付きたかったな……」
彼の頬にはまた雫が煌めいた。
「死神、あんたにお願いがあるんだ。俺が殺したこのはっていう女の子の父親の事なんだが」
「はい?」
「もしその父親があの世に逝く事になったら、地獄に行かせない様にして欲しい」
「どうして?」
「たぶん俺、その父親にホームに落とされたんだ。俺が犯人だって知ってたんだろう。落とされる時に「このはの復讐だ」って聞こえた気がした。殺した俺が全て悪いんだから、その父親には天国に行って欲しい」
あの父親があの子の復讐を?
「あぁ、分かった。神様に頼んでみるよ」
「ありがとう」
この男の最後の笑顔は、日の光の様に輝いて見えた。
そして、その笑顔と体は黒い闇の中へと深く消えていった。
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