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のっぺらぼうは、振り返った。嫌なものが追いかけてくる、不穏な気配はしない。もう大丈夫だろう。
深々と安堵の息を吐きながら、のっぺらぼうは涼を下ろした。
「……忘れものだ」
言いながら、涼の手提げ鞄を差し出す。涼はぐずぐずとそれを受け取ると、ちらりとのっぺらぼうの方を見た。
「なんだ?」
少し間を空けてから、涼はぽつりと言った。
「ごめんね」
「……どうして謝る。謝るのは俺の方だ」
のっぺらぼうは、ゆっくりとしゃがんだ。そして、真っすぐ涼の瞳を見つめながら言った。
「……悪かった。ひどいことを言って」
「うん」と涼は頷く。しかし、未だにしょげた様子で、その場から動こうとしない。のっぺらぼうは、後悔した。本当に、申し訳ないことをしてしまったと思う。
のっぺらぼうは、静かに涼の頭に触れた。涼は逃げなかった。
意を決して、のっぺらぼうは言った。
「やっぱり、俺も涼と友達でいたい……。だから、短冊は一番高いところに飾っておいてくれ。願い事がちゃんと叶うように」
のっぺらぼうは、さらに言う。声が震えそうになるのをどうにか堪えながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それから……来年は自分で書くから、字を教えてほしい」
涼が、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「駄目か?」
のっぺらぼうが尋ねると、涼の顔にぱっと笑みが咲く。
「ダメなんかじゃないよ。いいよ、教えてあげる!」
その答えと明るい笑顔に、のっぺらぼうの方まで嬉しくなった。
のっぺらぼうは、そっと手を引っ込める。すると突然、涼がのっぺらぼうに抱きついた。
「な、なんだよ!」
「のっぺらぼーが笑ってくれたから、嬉しいの」
「えへへ」と笑いながら言われて、のっぺらぼうは何も言えなくなる。
本当に、涼には敵わない。彼女には、何もかも見透かされてしまうのだ。嘘も強がりも、まるで意味をなさない。
のっぺらぼうが涼の頭をなでれば、涼はぎゅっと腕に力を込める。
やはり、この小さなぬくもりと、離れたくないと思った。
「涼ちゃん!」
誰かが涼を呼んだ。大声であったが、聞こえのよい女声であった。のっぺらぼうは、声が聞こえてきた方を見やる。
鳥居の向こう、石段の中ほどに老年の女性が立っていた。のっぺらぼうの記憶が確かなら、あれは涼の祖母ではなかったか。以前、涼と一緒に神社まで来たことがあった。
涼を抱き寄せながら、のっぺらぼうはじっと気配を探る。嫌な感じはしない。あの女性は、人間で間違いない。
声に気がついていないのか、涼はまだのっぺらぼうにくっついたままである。名残惜しさを感じつつも、のっぺらぼうは小さな背中を軽く叩いた。
「涼、そろそろ帰る時間だ」
のっぺらぼうが石段を示すと、涼は体を離して振り返る。
「あ、おばあちゃんだ」
あの女性は、やはり涼の祖母らしい。涼を迎えに来たのだろう。辺りはだいぶ暗くなっていた。
「のっぺらぼー。またね」
「ああ。また来い」
のっぺらぼうが答えると、涼はひと際にっこりと笑った。それから、くるりと体を反転させて、石段を駆け下りていった。
涼は祖母と手をつなぎ、帰ってゆく。
やがて、二人の姿が見えなくなると、のっぺらぼうは立ち上がり、今しがた走ってきた道を引き返す。
社の前まで来たところで、のっぺらぼうは足を止めた。静寂な境内に一人、のっぺらぼうは立ちつくす。寂しさがまとわりついてきた。胸の辺りがざわついて、落ち着かなくなってくる。
のっぺらぼうは、静かに空を振り仰いだ。
群青色の空に散らばる星々は、いつもより輝いているように感じられた。七夕だから、そう感じるのだろうか。今日は星に願いを託す日―。
のっぺらぼうは、おもむろに言った。
「涼とずっと友達でいたい」
また、涼に会えるように。一緒に遊べるように。それが、ずっと続くように。
叶うことのない願いだ。明日に潰えてしまうかもしれない。そうでなくとも、あと一、二年で涼は見えなくなる。
そして、深く傷つく。
だが、それでも願う。辛い未来が待ち構えていても、願う。
それが、のっぺらぼうの確かな気持ちなのだから。
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