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思い出の欠片~狐火花火~
一
神社の周囲に広がる林は、春に沸いていた。桜はもちろん、様々な花が咲きそろっている。椚は黄色い花を垂らし、いろは紅葉も赤い花を揺らす。のっぺらぼうの正面では、辛夷が満開だ。無垢な白い花が、梢にあふれている。
冬の寒さはすっかり和らぎ、今日など日向にいるとほんのり汗ばむほどだ。
しかしのっぺらぼうは、麗らかな春の陽気について行けなかった。木陰にひっそりと座り込んだのっぺらぼうは、きらめく木漏れ日にもやもやとしたため息をこぼす。
春は別れの季節。いつか聞いた言葉が、頭の中でぐるぐると渦巻いている。
こつりと肩に石が当たり、のっぺらぼうは顔を上げた。
辛夷の下に、二匹の狐がいた。のっぺらぼうの同族、野狐だ。蹴りつけでもしたのだろう、石をぶつけたのは間違いなく彼らだ。
野狐たちは揚々と尻尾を振りながら、にやりと口の端をつり上げた。
「やい能無し。いつになったらもとの姿に戻るんだ?」
「そうだそうだ、いつまでそんなお面を被っているんだ」
二匹の狐は、笑い混じりにはやし立てる。明々とした口調が、かえって毒々しい。
「うるさい。黙れ」
そう吐き捨てると、のっぺらぼうはふいとそっぽを向いた。
だが、二匹の獣は黙らない。
「どうせ、もう貰えなくなるぞ」
「そうだそうだ、あの子はそろそろ見えなくなる」
「そのお面、いっそさっさと外したらどうだ?」
「あの子よりも先に、何もかも忘れた方がいい。能無しのお前は、どうせ一人ぼっちなんだ」
野狐たちが、下品な笑い声を立てる。
不快でたまらなくなったのっぺらぼうは、無言で立ち上がると踵を返した。
「やい、どこに行く」
野狐の声が響く。
しかし、のっぺらぼうは取り合わず、足早に茂みへと分け入った。
しばらく歩いたところで、のっぺらぼうは立ち止まった。それから、背後を見やる。野狐たちの姿はない。そうして不愉快な輩がいないことを確認すると、のっぺらぼうはずっと我慢していたため息を吐き出した。
野狐たちの言葉が、心に突き刺さっていた。素知らぬ振りをして立ち去ったのは、単なる強がりだ。
のっぺらぼうは、先日涼がやって来た時のことを思い出す。
先日、涼はさも嬉しそうに、神社にやって来た。ランドセルとかいう、茶色い鞄を背負って。そして、こう声を弾ませた。
「のっぺらぼー、見て見て! ランドセル! わたし、もうすぐ学校に行くんだ!」
ついに、涼はそんな年になってしまったのだった。学校、おそらく小学校に行く年頃。それすなわち、妖怪が見えなくなる、ということだ。
春は別れの季節。その言葉通りだった。別れの時は迫っていた。
のっぺらぼうは、また深々と息を吐いた。
気落ちしてしまう。涼がやって来なくなったら、のっぺらぼうはまた一人ぼっちだ。一緒にお菓子を食べたり、七夕飾りを作ったり、ボール遊びをしたり、そして秋祭りにお面を貰ったり、ということはなくなる。そして、彼女はのっぺらぼうのことを、丸ごと忘れてしまう。
そのことを思うと、のっぺらぼうは胸苦しくなってくる。近く別れの時が来ると覚悟はしていたが、こう直前まで迫ってくると、どうにもままならない。些細なことで、心が揺らいでしまう。妖怪として力がないだけでなく、こういうところものっぺらぼうは弱い。
思い出さなくていいのに、野狐たちの言葉がよみがえってくる。だんだん荒んだ気分になってきたのっぺらぼうは、顔に手を伸ばした。
野狐たちの言う通りだ。どうせ近く、涼は己のことをすべて忘れる。ならば、自分から手を離してしまおう。もう狐面だって外してしまえ。涼が贈ってくれた、お面など――。
しかし、狐面に触れる直前で、のっぺらぼうは思い止まった。ぐっと拳を握りしめる。
涼とは、三日前にも一緒に遊んだばかり。きっとまだ、彼女は妖怪が見えている。また、神社にやって来るかもしれない。去年の七夕にも、「涼とずっと友達でいられるように」と、願ったではないか。その願いを捨てるのは、まだきっと早い。
そう必死に言い聞かせて心を静めると、のっぺらぼうは無理やり思考を切り替えた。
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