思い出の欠片~狐火花火~

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  二  境内の地面は、桜の花弁で埋め尽くされていた。桜の季節は、もう終わりだ。  壮麗な桜花の終幕に、のっぺらぼうは別の終わりを重ねてしまう。  淡紅色の花弁が、新たに落ちてくる。その一片の動きを、のっぺらぼうは視線で追った。くるりくるりと閃いて、ぽとりと地面に落ちる。  のっぺらぼうは、動かない花弁を凝視した。この花弁は、決して花には戻らない。 「何を見ている?」  白狐が、のっぺらぼうに声をかけた。  今日の白狐は、狐ではなかった。術で人に化けている。切れ長の目元に鼻梁の通った形のよい鼻、唇は薄いがその色は鮮やかな赤色で、なんとも蠱惑(こわく)的だ。女性のような顔立ちであるが、体にまとう着物は縞柄の男物。体の線も、女性にしては少々厳つい。女性なのか男性なのか、一見判別がつかない。加えて、きらびやかな銀色の長髪。なんとも浮世離れした、美貌の人である。  その美貌の人は、袂に手を入れると目を細めた。 「まさか、来ないと思っているのか?」  図星をつかれたのっぺらぼうは、顔を背けた。  白狐が、喉の奥で笑う。 「まったく、弱っちいな」  これまた、図星であった。  のっぺらぼうは一言も答えずに、心の中で舌打ちをした。「花火が見たいから、力を貸してくれ」と、白狐に頼んだことを少し後悔してしまった。  今日は、涼と花火を見る日である。そのため、のっぺらぼうだけでなく白狐も一緒になって、社の前で涼を待ち構えているのであった。  数日前、涼が神社に遊びに来た際、のっぺらぼうは彼女と花火を見る約束を取りつけた。厳密には花火ではないけれど、花火に似たことはできるから、とのっぺらぼうが言ったら、涼は目をきらきらと輝かせていた。  幸いにも約束はできた。だが、涼はいつ何時妖怪が見えなくなっても、おかしくない。もしかしたら、よりにもよって、今日がその時になったっておかしな話ではないのだ。だから、相変わらずのっぺらぼうは、不安になってしまう。涼が来ると信じたいのに、信じきれない。 「来たか」  白狐の小さな声が聞こえて、のっぺらぼうは、はっと鳥居の方に振り返る。 小気味よい足音が聞こえる。誰かが石段を駆け上がってくる。間もなく、涼が現れた。 「のっぺらぼー!」  元気よく、涼が叫ぶ。そうして彼女に呼ばれた瞬間、のっぺらぼうはようやっと安堵した。  涼は鳥居をくぐって、一目散にのっぺらぼうのもとにやって来た。 「アイス、持ってきたよ!」  そう言って、彼女は水色の小さな手提げ袋を掲げる。 「ありがとう、涼」 「小豆のアイスも持ってきたか?」  のっぺらぼうに続いて、白狐が唐突に口を挟む。 「うん、持ってきた……」  言葉尻を濁らせながら、涼はのっぺらぼうの隣に視線を移す。彼女の瞳は、白狐に釘付けになった。しばらくじっと見つめた後、涼は「あ」と声をもらす。 「たまに鳥居の上にいる、白い狐さんだ」  その口ぶり、涼は見えている。白狐の真の姿が、分かるようだ。  あっさり正体を見破られた美人は、口元を袖で隠すと、楽しそうな笑い声を立てた。 「やはり、よく見える子供だな」 「はじめまして、千歳(ちとせ)涼です」 「しろきつねでも、はくこでも、好きに呼べ」 「はくこさん?」 「そうだ。よろしくな、娘」  あいさつをするやいなや、白狐は社の前に鎮座する一対の狐像の間に進み出た。 「それでは、早速やろうか」  白狐が、右手を高々と掲げた。袖が滑り落ちて、真っ白い腕が露わになる。  涼は、素早くのっぺらぼうの体にしがみついた。術を使う気配に、勘付いたらしい。さすが、白狐の真の姿を見破っただけのことはある。  のっぺらぼうは、そっと涼の頭に手を置いてつぶやく。 「怖がらなくていい」  空をかき混ぜるように、白狐は手をくるりと一回転させた。刹那、青白い光が弾けると同時に、白狐の指先から黒い靄が勢いよく流れ出す。靄は辺り一帯をあっという間に黒く染め上げた。昼の明るさが一転、まるで夜になってしまったようだった。しかも月も街灯もないので、普通の夜よりもずっと濃密な闇だ。 「のっぺらぼー……」  涼が、不安そうにのっぺらぼうを呼ぶ。  この陰影のないのっぺりとした闇は、涼にとって恐怖でしかないだろう。夜目が利くのっぺらぼうはともかく、人間である彼女の場合、ほとんど何も見えないに違いない。  のっぺらぼうは、ぽんぽんと軽く涼の頭を叩くと、穏やかな声で言った。 「大丈夫だ。花火をするから暗くしただけだ」 「そうだ。何を怖がっている。花火が見たかったのだろう?」  そう言いながら、白狐は手の平を突き出す。すると、彼の手から炎が生まれた。狐火である。赤い光はとろりと闇を溶かし、辺りを照らし出す。 「ほれ」  狐火が大きく燃え上がり、そこから六つの小さな炎が飛び出した。おたまじゃくしのように尾をなびかせながら、狐火たちは空を駆け昇り、社の屋根を越えたところで弾けた。赤い光の破片がぱっと闇に散らばり、花のような形を描いては、消える。音もなければ、高さも低い。しかし、その見た目は打ち上げ花火に似ていた。
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