思い出の欠片~叶わぬ願いを想うとき~

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 夕暮れが近い。夕暮れ時は逢魔が時、妖怪が騒ぎ始める時間だ。まだ日が沈むまで間がありそうだが、気の早い連中は、そろそろ活動を始めてもおかしくない。  白狐の言う、「連れていかれる」の意味。それは、妖怪に惑わされることを差す。幼い涼は、妖怪などの怪異の気配に(さと)い。しかも、その感覚がかなり鋭いようで、こちら側―あやかしの世界―にたやすく近づいてしまう子供であった。  そんな子供は、特に妖怪の興味を惹く。ちょっかいを出す輩も多い。そして、そんな奴らは、往々にして加減をしない。一瞬脅かす程度ですめば、運がよい。人の世界に戻れないようにするのも、まだかわいい方かもしれない。喰い殺してしまう、なんていう物騒な輩だっているのだ。  木立の合間を走ることしばらく、徐々に辺りが暗くなってきた。日が沈むには、まだ早い。しかし、やけに薄暗い。墨のような闇が立ち込めて、長く伸びる木の影が、さらなる暗がりを作り出す。  のっぺらぼうは、焦った。白狐が言っていた通り、あやかしの気配を感じる。のっぺらぼうは、闇を追いかけて、ひたすら走り続けた。  どれだけ走ったか、最早分からなくなってきたとき、闇の中に見覚えのある小さな人影が浮かび上がった。おさげ髪と白い服。間違いない。涼だ。  涼は覚束ない足取りで、どこかへ向かって歩いている。体は陽炎のようにゆらゆらと揺れ、そのまま消えてしまってもおかしくないほど、儚い。 「涼!」  名前を呼んでも、少女の足は止まらない。のっぺらぼうは速度を上げて涼に追いつくと、彼女の細い腕を掴んだ。 「涼、そっちじゃない!」 「のっぺらぼー……?」  振り返った涼の瞳は、ぼんやりしている。のっぺらぼうは涼の肩を掴んだ。 「帰るのはそっちじゃないだろう!」  のろのろと、涼は前方の暗がりを見やる。そして、はっと目を見開いて、のっぺらぼうに身を寄せた。震える手が、のっぺらぼうの着物をぎゅっと掴む。  刹那、突風が吹き抜けたかと思いきや、闇の中にぼうっと赤い火が浮かび上がる。一つ二つ三つと、その数はどんどん増えてゆく。  妖怪だ。のっぺらぼうの同族がいる。 「顔も能もない出来損ないが。邪魔をするな」  掠れた声が、どこからともなく聞こえてくる。のっぺらぼうは、全身の毛が逆立つような、嫌な感覚が体中に走るのを感じた。辺りに漂う火の玉が、ほのかに暗闇を照らす。薄闇の中に湧き立つ、大きな獣の影。煌々と燃える赤い目が、のっぺらぼうを射る。  涼を引き寄せながら、のっぺらぼうは一歩後ずさった。力の弱いのっぺらぼうは、対抗する(すべ)をなんら持たない。ならば、できることはたった一つ。  のっぺらぼうは、涼を抱き上げた。 「後ろは絶対に見るな!」  のっぺらぼうは体を翻すと、その場から逃げ出した。 「待て!」  背後で金切声が響く。その声に呼応するように得体の知れないざわめきが唸り、火の玉がのっぺらぼうの頭をかすめた。  のっぺらぼうは走った。獣であった頃を脳裏に思い描きながら、土を蹴る。妖怪としての力はまるで駄目だが、身のこなしは素早い方だ。なんとしてでも、背後の闇を振り切らなければ。  のっぺらぼうは涼を抱く腕に力を込めると、ぐんと速度を上げた。  必死に駆け続けていると、暗闇が和らいできた。間もなく、見知った雑木林の風景が見えてくる。さすがに息が上がってきたのっぺらぼうであったが、走りを緩めることはしない。一目散に雑木林を抜け出ると、そのまま境内を突っ切り、鳥居の真下で足を止めた。
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